2009.6.3
 
Books (環境と健康Vol.22 No. 2より)

 

京都大学総合博物館・京都大学生態学研究センター 編

生物の多様性ってなんだろう?−生命のジグソーパズル


京都大学学術出版会 ¥1,800 +税
2007 年 8 月 10 日発行 ISBN978-4-87698-827-3

 

 

 本書は、2007 年後半に京都大学総合博物館で開催した同名の企画展を骨子として、生物相互のネットワークとその多様性を具体的に提示し、持続可能な地球生態系を見据えた生態学の入門書である。副題に沿って言い換えれば、「みんな違うけれど、みんなで一緒」に作り上げるジグソーパズルの世界である。本誌 Books の新刊としては時宜を失しているが、当今の地域的サブプライムに発した金融世界恐慌の地球生態系版への波及を憂えてあえて取り上げることにした。

 全 5 章からなり、第 1 章では受粉されやすいように昆虫を誘引するべく選択された花の多様性や、種子の散布に適した動物の餌としての果肉の発達が示されている。私ども人間が、四季の花を愛で、その果実の味覚を楽しむことが出来るのは、このような動植物の共生の結果に過ぎない。第 2 章は生物間相互作用ネットワークを主題としている。まず思いもよらない相互作用の連鎖として、同一の柳を食する 3 種の昆虫間の相互作用が、食された柳の補償生長によって支えられている具体例や、食された植物の香りが媒介する「虫と草木のネットワーク」(本誌20巻(2007)24 号、Books 談義 4 参照)などが取り上げられ、さらに多数の種が共存しうる数理生態モデルが提示されている。第 3 章は新しく展開した分子生態学の分野で、ミツバチで発見された日周期活動の体内時計としての遺伝子産物や、そのフィードバックループによる時間的すみわけ、魚類での色覚物質の多様化による生息域の拡大、生化学反応で濃縮される窒素と炭素の安定同位元素を指標とした動物の食生活と環境汚染の健康診断(本誌 21 巻(2008)1 号特集、山・川・海をつなぐ水といのちの物語 参照)などが取り上げられている。第 4 章は人間に身近な生態系を取り上げ、前記同位体分析で解明された食物連鎖から琵琶湖の富栄養化に警告を発し、人間の生活様式の変化による里山生態系と森林生態系の新しい危機に触れている。

 第 5 章では熱帯降雨林と海洋生態系を支える微生物群集の働きに触れている。有機物の分解者としての微生物の働きは、本誌 19 巻(2006)2 号 Books「土とは何だろうか?」でも取り上げている。特に評者にとって意外であったのは、沿岸水のゲノム解析(逆・生物地球化学)によって発見されたT4 系バクテリオファージ(細菌ウイルス)の発見である。大腸菌を宿主とする T4 系ファージは、遺伝子の本体が DNA であることを最終的に証明した「ハーシー・チェイス実験」(1952)の花形であった。しかし海洋で発見されたものは、光合成を行う藍色細菌(藍藻)を宿主とするもので、海洋での炭素循環の立派な役者である。しかし、これはまだゲノム解析による新知見であり、今後個々の細菌種やファージの地道な形態同定と生理・生化学的研究が期待される。

 思い起こせば、評者が京都大学に入学した 1953 年に日本生態学会が創立され、その後数年間はその基礎概念が絶えず問われていた。時を経て、1969 年に理学部に新設の生物物理学教室に帰国した時には、生物個体をも 1 分子とみなして熱力学の理論を援用する数理生態学講座が存在していた。大腸菌をモデル生物とした分子遺伝学の評者には生態学は全く無縁に思われた分野であった。しかし今や生物個体群生態学と分子遺伝学が、進化生態学を介して、連携・交流する時代が到来したようである。その共生の科学哲学が、当面する人類の持続可能な経済システムの再構築への足がかりになることを期待している。

 

山岸秀夫(編集委員)