1999.10.27
 
「環境と健康」 Vol.12 No.5 October1999
Editorial

未来学再訪
菅原 努
 

 

 私が浜田和幸著「知的未来学入門」を本誌に紹介したのは、今から5年前のことでした(Vol.7, No.5/6、1994)。そこでは未来学と言うのは単なる未来の予測ではなく、いろんな可能性を考え、そのそれぞれに対する結果と対応を考えるものだと書きました。そこで、その時に私なりの未来学習作として放射線防護基準の未来像:3つのシナリオを余白に書き込みました(Box-1)。

 
Box-1
1994年10月

未来学習作

放射線防護基準の未来像:3つのシナリオ

  1. 直線仮説の固守:多くの疫学のうち、少しでも今までより低い線量で有意にがんが増加というデータがあるとそれが順次取り上げられ、線量限度はさらに下げられる。実行の可能性の制約から無理にリスクを承知の上で容認レベルを決めざるを得なくなり、ゼロリスクを求める反対運動は益々激しくなる。
  2. 全面見直し:低線量は高線量からの外挿ではなくしきい値があるという主張が認められる。しかし、単にしきい値を認めるか、さらにホルミシスを認めるかで防護への適用の方針が大きく変わる。ストレス応答の研究とHBRAの研究とがしきい値決定に重要となる。しかし、これで発がんリスクゼロを証明することは極めて難しいので、直線仮説論者との間になかなか決着のつかない論争が当分続くであろう。
  3. 折衷案:安全側に立つという意味で個人の防護上は直線仮説をとる。しかし生物学的には発がんは単純な放射線誘発体細胞突然変異では説明できないという主張が認められ、生物の環境への適応ことにHBRAなどの疫学研究などに基づいて極低線量についてはリスクがより低く見積もられる。従ってこれに基づく集団線量(man-Sv)にはLQまたはQモデルを用い、低線量群の寄与は割合が小さくなり、Alaraの見直しが行われる。
菅原 努

 その後この未来学の考え方を私なりの未知のものへの迫り方として取り上げ1996年のインドでの「X線と放射能の100年記念国際会議」の講演の中で紹介しました。そして前の3つのシナリオを改訂の上英文にして発表しました。さらにそれに手を加えて同じ年の中国での高自然放射線地域研究国際会議でも発表しました。

 問題はこの中の第三のシナリオです。国際放射線防護委員会、ICRPの委員長Clarkeが防護基準についての新しい提案をかねていろんな会議で発言していたものを、今年の6月にJournal of Radiological Protectionという雑誌に発表しそれをインターネットで自由に読めるようにして広く意見を求めています。そのなかで、現在多方面から異論が出ているにもかかわらず放射線作用についてのICRPの従来からの主張である直線しきい値なしの仮定を変更する必要性は認めていませんが、低線量に関連していくつかの新しい提案をしています。その中にシナリオ3との関連で注目すべきことが2つあります。その第一は従来の集団線量という概念はやめるというものです。しかし、その根拠は私の言うところとは違い、一番高い被曝を受けた個人の健康に対する害のリスクが問題にならない位小さければ、それ以下の被曝を受けた人が大勢いたとしてもトータルのリスクは問題にならない、と言うものです。従って個人の被曝管理に主眼を置いて集団線量という概念をやめようと主張しています。これは従来であれば微量の放射線でも沢山の人が受ければ問題として来たのを、とりやめるということです。すなわち生物学的な問題(微量放射線ではリスクはないのではないかと言う問いかけ)を避けて、理由を代えて解決を図ったものと私は理解しています。

 もう一つは今までの線量をALARA(as low as reasonably achievable、合理的に可能な限り線量を低く)にせよというのを、ALARP(as low as reasonably practicable、合理的に実行出来る範囲で線量を低く)に変えると言うのです。表現はよく似ていますが、実際的に出来ることと言うのにポイントがあります。その変更の理由は兎も角として変更された内容は私のシナリオ3とよく似ているではありませんか。この実際的というのはイギリスでのかねてからのやり方のようで、確かにこのあたりが妥協点であったのです。

 最近未来学というようなことは殆ど聞いたことがありませんが、今問題になっているような事は殆どが程度の差はあれ何れも未来予測に基づくものです。その最たるものは地球温暖化ですし、身近なところではダイオキシンもこれから何が起こりうるかのリスクが問題になっているのです。高放射能廃棄物の処理で100年後、1,000年後までの安全性というのはその言葉の通り未来予測です。そこで未来学の本を頼りに未知への予測の仕方を考えてみると表1のように纏めることができます。即ち未知といってもその程度によって予測の仕方もその結果の精度もことなります。ここではインドで発表したものが英文ではいっています。

表1 未知の領域への予測の方法論
Principle for the prediction of unknown issues

 
未知の程度
Nature of unknown
予測の方法
Method of prediction

example
I. 確実性の領域
Certain with known mechanism
既知の領域から直線的に外挿
Linear extrapolation from the known
古典力学
天体の運行
An eclipse of the sun
II. 確率分布がある程度知られている不確実性の領域
Uncertain but with known statistical distribution
既知の領域からの確率分布の予測
Probability distribution predicted from the known
量子力学
天気予報
Weather forecast
III. 純粋に不確実な領域
Purely uncertain
新奇性の存在と発見
因果関係の強い部分と弱い部分の識別
複数のシナリオを作成
Finding a new curiosity
Differences in causalities
Multiple scenarios
ソ連の崩壊
World affairs

参考:香山健一;未来学入門 潮新書 1967
浜田和幸;知的未来学入門 新潮選書 1994


 放射線防護体系が将来どのようになるかは、低線量の影響について1994年当時私には未知のことが多いとして幾つかのシナリオを作ったわけです。上に挙げた最近のいろんな問題もこの方法を取り入れて予測をすべきでしょう。

 最後にリスクの問題で締めくくりたいと思います。私達が放射線のリスクを考えたり、日常生活のリスクを云々するときにその根拠は過去のデータであったり、疫学データからの外挿であったりしますが、いずれもある程度の不確実性を伴っています。すなわちこれも一種の未来予測です。表1で言うと多分IIの部類にはいるでしょう。ただ量子力学と違い人為が加わっていることが特徴であるとローザ*は言っています。その上頼りにしていたしきい値なしの直線仮説がくずれると、簡単な理論的な予測が出来ませんのでIIIの部類にはいることになります。そこでは従来の純粋科学の方法は通用しません。新しい方法論の開拓が必要でそれにはものつくりの知が役立つのではないかと前に論じました。

 これから私達はこのようなものとしてのリスクに取り組んでいきたいものと思います。

資料

  • T.Sugahara: Hiroshima and Nagasaki: From fear through science to risk assessment. 100 Years of X-rays and Radioactivity(RON-BEC100) D.D.Sood et al edited. Bhabha Atomic Research Centre, Munbai, India, 1996 pp.367-376.
  • T.Sugahara: The radiation paradigm regarding health risk from exposures to low dose radiation. High Levels of Natural Radiation 1996−Radiation Dose and Health Effects. L.Wei, T.Sugahara and Z.Tao edited. Elsevier Science B.V. 1996 pp.331-339.
  • R.Clarke: Control of low-level radiation exposure: time for a change? J. Radiol. Protect. 19: 107-115, 1999.
  • * E.A. Rosa: Metatheoretical foundation for post-normal risk. Journal of Risk Research 1(1) 15-44, 1998.