2000.7.3

 

  20. 科学と養生訓
 

 

 みんながんには罹りたくない、長生きはしたい。そこで昔は貝原益軒のような偉い人が養生訓を書いた。今ではがん予防十二箇条といったものががん研究の偉い先生によって書かれている。これは非科学的な単なる常識から科学になったということを意味するのであろうか。厳密に言えば答は否である。後者は確かに多くの科学的根拠に基づいている。しかし言っていることは科学ではない。科学ではその提案が本当であることが証明されねばならない。例えば、″あまり焦げたものはやめよう″を取り上げてみよう。これは動物実験で肉の黒焦げから得られたある化合物を与えてがんが出来たというデータに基づいている。しかしその量は極めて多くとても人間が食べる量とは比較にならない。ヒトについて食物の中の焼魚の割合とがんの頻度などを調べた研究もあるが、がんのふえたものもふえないものもあり、決して証明されたとは言えない。従ってこのことは可能性から忠告を与えているといったものである。

 1992年のある会合でこの点について日米の学者の立場の違いを知らされた。がんの予防には緑黄野菜がよい、ことにそれに含まるベータカロチンが予防に役立つと言われている。アメリカではこのことを証明する為に二万人の医師を対象にしてこれの入った錠剤とにせの錠剤を飲ませる研究を10年計画で行っている。このアメリカの発表に対して、日本の専門家の意見は、そんな結果を待っていては今の人達に間に合わない。私達が日常の食生活とがんの発生を調べた今までの研究で十分で、直ちに国民に緑黄野菜を十分食べるように勧告すべきである。ということであった。ところがそれから3年余り経ってアメリカから思いがけない発表があった。その詳細は別の機会に紹介するとして、ここには結論だけを述べる。アメリカの上述の医師を対象にしたものの他にもう一つの疫学研究があり、その他フィンランドのヘビースモーカーを対象とした疫学研究の結果も、どれもベータカロチンの摂取が肺がんを減らさないばかりか、喫煙者の場合にはかえって増すという結論になったのである。アメリカではこれをふまえて1996年1月でベータカロチンによるがん予防の研究を中止した。何故このような予想と反対の結果になったのか今後の研究が待たれるが、科学的な研究の重要性を認識させるものである。

 そうは言いながら、厳密な意味では科学と言えなくても科学的根拠に基づいて推論を行って、それに基づいて施策を遂行することは現実には必要な場合が少なくない。その実例は地球温暖化に対する炭酸ガスの排出現制である。この両者の関係は具体的には推論の域を出ないが、といって放置して手遅れになっては大変である。老化予防でも科学的に成果を得るのに長年月を必要とすることから同様のやり方が必要になる。しかしこの際大切なことはその推論に衆知を集め、英知をしぼって科学者のコンセンサスを得るべきであると言うことである。この意味でがん予防十二箇条も科学的養生訓として認めるとしても、このコンセンサスを得る手続きをへていない。その為に、軽重入り交じり、国民としては何をどれだけ守ったらどれだけの成果が期待出来るのかがつかみどころがない。このことは老化予防ということを考える時には一層留意しなければならないところである。

 要は養生訓と科学とを混同してはならないといことである。そこでの老化研究者の役目は科学の目で養生訓を批判的に読み選び出していくことにあるであろう。

 参考として「今月のトピックス:長寿は沖縄からハワイへ?」を見よ。

[←前項目へ] [UP↑]  [次項目へ→]