2002.9.1

 


菅原 努

 

21. 高齢者を追って

 


 この欄の6月号に「九十歳に学ぶ」として、聖路加國際病院理事長の日野原重明先生の「生き方上手」という本の紹介をしました。その後少し気をつけて雑誌や新聞で九十歳以上の方の記事を集めてきました。その幾つかを順序不同でご紹介することにします。

 JALのPR誌“Agora”の7月号の編集部インタービューが、声楽家の中川牧三氏でした。明治35年12月7日生まれ、今年100歳を迎えられますが、現在もなお現役でご活躍とのことです。月に10回はオペラの指導者として後進の指導にあたり、昨年は年に7回、日本イタリア協会会長として大阪とイタリア・ボローニャにある自宅を往復。若い世代へのメッセージとして次のように言っておられます。

 「日本やドイツでは、生徒や弟子はとにかく先生やお師匠さんの真似をします。先生も教えた通りやりなさいという。しかしイタリアを含めたラテン系の国では、先生の真似をするな、模倣からは何も生まれないと言われます。このことはこれから日本が進むべき道を、示しているような気がします。」

 そうしたら下鴨神社でのお盆の古本まつりで、大西良慶、平櫛田中の「人間ざかりは百五歳」(山手書房昭和54年刊)という本を見つけました。「七十、八十は鼻たれ小僧、わしらの人生これからこれから」という副題がついています。

 大西良慶105歳、清水寺管長:花は咲き鳥は啼き虫は這い、すべて「いま」に満足している。良慶百五歳。やっぱり「いま」が最高やな。明治維新になり「御一新」ということで神仏判然令(廃仏毀釈)が出て、奈良興福寺の五重の塔も売りに出されるという時代に仏門に入られたよしで、その五重塔がどうして残ったかという話も出てきます。

 平櫛田中107歳、木彫家、文化勲章受章:人間いたずらに多事、人生いたずらに年をとる。いまやらねばいつできる。わしがやらねばだれがやる。人間、貧乏は我慢できるが、子供に死なれるほどつらいものはない。私は三人の子供を儲け、上の二人を結核でなくした。内弟子のなかに胸の病を持ったのが居て、子供たちはその弟子とよく遊んでいて不幸にも発病した。それまで作品の制作を依頼にいったことは一度もなかったが、子供の治療費も転地費もいるので、このときばかりは,恥をしのんで生まれてはじめて、ある日本有数の富豪のところに借金に行ったが、ていよく断られたのである。私は言葉もないほどがっかりして、家へ帰るとばったりと倒れてしまった。・・・・しかし、そのあと九人ほどの人から、当時のお金で二万四、五千円ほど拝借でき、そのお金でどうやら子供の治療にあてられたのである。

 8月18日(日曜日)の毎日新聞の「女の気持ち」という投書欄に、「90歳を生きるには」(大阪府交野市 山田文子 90 無職)というのがありました。これは今までのものと全く違います。その一部を抜粋してご紹介しましょう。

 “私の近親者は皆、60代で亡くなっている。私1人90まで生きてしまって、まわりにお手本がないから心細い。

 「しんどかったら、横になって好きにしたらいいよ」と娘たちは言ってくれるが、寝てばかりいて、「寝たきり老人」になるのも困る。一応服は着て、なけなしの髪をとかして起きているものの、最近は目も悪くなり本も読めない。・・・・おかげさまで頭はまだぼけてないし、口もよく動く。もっとも筆談の相手がいない時は、一日中無言の行である。・・・実際、この年まで生きてみなければわからないことがたくさんあるのだ。“

 そうしたら、また元気な91歳の話が毎日新聞8月24日(土)の「ひと」の欄にでました。それは漫画家の杉浦幸雄さんです。70周年を迎えた漫画集団の創始者として紹介されています。91歳の今も「週刊漫画サンデー」に「面影の女(ひと)」を連載中。昭和20年代を舞台にしたエロチックなコメデイーで、20年、960回になった由。

 「今は時代が濃厚だから、昔のような洗練されたエロじゃ通用しない。これでもかと描かなくちゃ。でも戦争で表現が統制された時代があるから、今の方がいい。ひでえの描きやがるなと若い者を批判するより、よーし、おれはもっとすげえのを・・・・・という気になる。」と威勢がよいようです。

 今のところはこれまでです。これらの話には、長生きの秘訣などは全く出てきません。これが長寿者の自然の姿かも知れません。私もこれらを読んで兎に角次の目標を90歳に置いて頑張てみようかと思っています。これからもさらにこのように記事を集めてみましょう。