2002.6.1

 

 

18. 九十歳に学ぶ

 



 私の先輩に何人か幾つになっても元気な方がおられ、それらの方を見ていると何となく自分まで元気になって、まだまだやれそうだと言う気持になります。その先輩のお1人聖路加国際病院理事長の日野原重明先生が「生きかた上手」という本を出されました。九十歳の記念出版ということで、今年の初め頃に新聞に広告が出ているのを見つけ早速書店をのぞいてみましたが、見つけることが出来ませんでした。4月の終わりにようやく手に入れたのはもう第6刷になっていました。私が下手な解説をするよりご自分で読まれることをお勧めしますが、2、3なるほどと感心した点を拾ってみます。

 「死の近い人にこそ、生きる希望が必要」としてこんなことが書かれています。
 “8年前、神奈川県平塚市郊外に建てたホスピスを、私はときどき訪れます。
 ここでは日本中のどこよりも早く季節が巡ります。建物のいたるところを飾る京都の百景の絵が、つねにひとシーズン先のものだからです。春には早くもまばゆい深緑が、夏には紅葉する山々が、秋には白銀の木立が、そして冬には満開の桜が壁一面に広がります。
 病気の進行から見れば、たとえば患者さんが秋の紅葉を見るのは無理かもしれない。けれども、患者さんの心のなかにはいままで過ごしたさまざまな秋があります。紅葉の絵を見て、患者さんに「あの秋をもう一度」と待ち望む気持ちが湧いたなら、その気持が今日一日生きようという希望につながるかもしれません。人は最後の瞬間まで、生きる希望に支えられるべきなのです。”

 「人生とは習慣である」
 “人生はひと言で言えば習慣です。
 アリストテレス(前384〜322)は、「習慣とは繰り返された運動」であり、習慣が人間の性格や品性をつくると言っています。
 習慣に早くから配慮した者は、おそらく人生の実りも大きく、習慣をあなどった者の人生はむなしいものに終わってしまいます。(中略)
 食事、運動、仕事、睡眠を見直し、今日から改める。
 「すぎる」ことをいましめたい。”

 「ありがとう」のことばで人生をしめくくりたいものです。
 “これまで私は数えきれないほどの患者さんを診察し、その病を治すことに力を注いできました。その日々のさなかにまた、ゆうに4,000人を超える患者さんを看取りました。
 人のいのちを助けることが医学の使命であるとすれば、私は連戦連敗。負け戦を挑んできたようなものです。いのちを救ったつもりでいても、所詮、ほんの少し死を先送りしただけのこと。いずれは病なり事故で、1人残らず死んでいきます。(中略)
 患者さんは自らの死を通して、死がどうゆうものであるかを私に教えてくれました。無理な延命措置さえしなければ、老いてからの死はあまり苦しまず安らかであることも、患者さんの死から学びました。(中略)
 「終わりよければすべてよし」とはシェークスピア(1564〜1616)の戯曲名のひとつですが、人生こそ、そのようなものです。納得して死ねるか、さらに言えば、最後に「ありがとう」と言って死ねるかどうかだと、私は理解します。”

 引用はこの位にして、最後に私のこれまでの話とのつながりで一言記したいと思います。この本初めに日野原先生の一日が写真入で示されています。それを見ると、朝8時半に車で病院に着いて、夕方食事しながらの会議を含め午後8時25分に地下の駐車場に向かわれるまで、全く休みなしです。しかも記事によると、昼食は牛乳とクッキー数枚だけ、一日のカロリーも1,300キロカロリーだけで、しかし睡眠時間だけは昔から5時間とのことです。多分先生からは「それは君の習慣が悪いのだ」と言われそうですが、私にはとてもこの真似は出来ません。2月に書いたように、選択、最適化、代償をうまく使ってなんとかやっているのです。勿論私はこれでは90歳までは生きられないのでしょう。この違いをどう考えたらよいかと迷うばかりです。それでも先生もこのようにも書いておられます。

 “誰しも、病気一つせず、若いころのままの体力を維持したいと望みますが、それは日ごとにむなしい望みに変ります。どんなに健康維持に心がけても、からだは老化し、病気にもかかりやすくなります。それが、朽ちるからだをもった私たちの定めです。”

 どうやら先生も私達のような凡庸な老人のことも分かっていただいているようです。それでもこのような日常をおくっておられるのは、やはり日野原先生は素晴らしい怪物だからだということで、納得することにしました。


日野原重明著 生きかた上手
 ユーリーグ株式会社 2001年12月20日発行 ¥1,200+税
 ISBN4-946491-26-0 C0095