2003.9.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  4.本を読む
 


 先月はスローライフに一部として、「自宅で昼寝と読書」ということを書きました。ここで読書というと如何にも立派な趣味か何かのように思われそうなので、ここではそれを単に「本を読む」と変えさせてもらいました。と言うのは私の場合は、趣味は読書などという立派なものではなく、ただやたらに本を読んでいるだけなのです。兎に角難聴が始まって、先ず好きなクラシック音楽が雑音に近くなり聴く楽しみがなくなりました。次に、ではテレビでもと言う事になりますが、字幕もはいりアナウンサーの明瞭な語りによるニュースは別として、面白いはずのドラマなどが、せりふがよく聞き取れないので、話が分らなくなります。そこで私に出来ることで残ったのは本を読むことだけになったという次第です。

 本来ならばそれではこの機会に東西の古典でも読めばよい、ということになるのでしょうが、残念ながら私にはその力も興味もありません。もうあと何年も生きているわけではないのに、やはり最近の世の中の動き、世界的なものから、自分の専門にしてきた自然科学の周辺のものまで、何となく気になるのです。そんなことを気にしながらあちこちの本屋をぶらついて自分にとって面白そうな本を買い込んで、先ず本棚の隅に積んで置きます。1冊読み終えると、その一隅を覗いてそのときの気分でそのなかの一冊を手にとることでまた読み始めます。勿論読みだして面白くて夢中になるものもあれば、本の題につられて買ったが読み出してみると余り面白くなく、途中で投げ出してしまうものもあります。このうまく面白い本を見つけるというのが一つの楽しみなのです。と言っても本を読みながら居眠りをして、本の世界と夢の世界を行きつ戻りつということが少なくないのですが。

 何時読むか分らない本をやたらに買い込むということについては、初めのうちは何となく後ろめたい気がしていましたが、今ではそんなことは気にせずにどんどん買い込むことにしています。その理由は二つあります。一つは何方かは忘れましたがある作家の記に「自分は少なくとも自分の本棚に未だ読んでない本が20冊はないと落ち着かない」というのがあったことです。私の場合とても二十冊にはいきません。これが私の言い訳です。もう一つは初めにも書きましたように私にはもう本を読むことしか楽しみは残されていないので、小遣いは全部本に使うべきだという自分勝手な決心です。でも私が普通に買う1冊数千円までの本は、月に数万円もあれば十分です。これならば年寄りにも許された範囲のことでしょう。でも困るのはこうして出来る読んでしまった本の山です。捨てるには惜しいし、積んで置くには場所がないし、小さな書庫は作ったのですが、その本棚はすでにもう一杯で、今のところ普段使わないテーブルの上に読み終えた本が山のようになっています。

 さてこうして面白い本に行き当たったらどうするかということです。「あー面白かった」では時間が経つと何時の間にか忘れてしまいます。私はそれを二つのやり方で何とか生かしたいと思っています。最近科学者の社会的責任ということが言われるようになってきましたが、その一端として私達は、一般の方に最新の科学の進歩を理解し、その進め方について積極的に参加してもらうための科学の普及活動をしようとしてきました。そのためのヒントがこの読書から得られます。なるほどこうゆう風に書けば分かり易いかな、と気が付きます。今までも何冊も本を編集したり書いたりしてきましたが、私の意に反して一向に広く読んでもらえません。最近さらに工夫して作った本が出版される予定ですので、そのときにはご紹介しますので、ご批判ください。

 もう一つは読書感を何らかの形で公表することで、より広くの方々にその本を読んで考えていただくことです。そのためにこのホームページや、自分達で発行しているささやかな雑誌「環境と健康」(隔月刊)のEditorialやBooksという欄を活用しています。それらに書くことは自分でもまとめになります。書評というのはいろんなところでなされていますが、私は私なりに自分の率直な感想をいれて特色を出しているつもりです。どんな本を薦めているか、一度そのところをクリックしてみてください。

 

 
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