2003.8.5
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  3.スローライフを目指して
 


 下行大動脈解離から生還して3月余が過ぎました。{なお、この病気のことについては「八十路のつぶやき(1):内科的超安静療法」をご覧ください。}この間に目指したことは、体力の緩やかな回復と、公的な活動から身を引いて、マイペースの生活を確立することでした。この狙いを最近はやりのスローフード(インスタント食品に対する手作り食品)をまねて、スローライフと呼ぶことにします。ところがこれにはいろいろな障害があり、実現の見通しがたつのに3ケ月も掛かったと言う次第です。

 先ず問題は身近な人からでました。私の入院を「心配するといけないから、軽く検査入院だと言っておきました」と報告してくれました。「いや、それは困る。正直にかなり重態だったと言ってください」と反論したのです。軽い病気なら今までの仕事を退院後もまたやってもらえる、と安心されたのでは、退院後役を引かせて下さいと言えないと心配したからです。病気中に私は既に、今までの社会奉仕活動を活発にする第二の人生から、終末に向かう第三の人生へ向かう事を決心していました。そのことを考えてこのような反論をしたのです。

 さて退院をすると、いろんな会議の案内状が山ときています。とりあえずは欠席ですんだのですが、その後が大変です。その役を降りたいとお願いすると「いや困ります。しばらくはご欠席でも名前だけは」と言われるのです。「いや、私はお引き受けした以上はちゃんと出席して任務を果たしたいのです。それが出来ないから、辞任を申し出ているのです」と言ったやりとりが繰り返されました。実際会議に出てみて、耳が遠くなって人々の発言がよく聞き取れないし、後で恐ろしく疲れることを経験しました。こうなると辞める私の方も真剣です。幸い(財)体質研究会の理事長を鳥塚京大名誉教授にお引き受けいただくことが出来、それ以来辞任の話は順調にすすむようになりました。それは鳥塚名誉教授が私の健康状態を十分にご理解いただいたからだと、感謝しています。

 これで仕事の方は大分楽になりました。さて身体の方です。私のこの病気は同じ循環器の病気でも狭心症や心筋梗塞のように一般的ではないようで、治療は兎も角として、これからどのような養生をすればよいのか、誰も教えてくれないのです。退院のときに言われたのは、ストレスを避けて、血圧をあげないように、食事は塩分をへらし太らないように、言った一般論だけなのです。インターネットで調べてみましたが、治療のことは書かれていても、何故起こるかは今のところ不明で、したがって起こってからの養生については説明を見つけることが出来ませんでした。唯一聞いたのは、ある会合で先輩の開業医が「うまくやれば7、8年は生きられる」と言ってくれたのだけです。でもどうやればうまくいくのでしょうか。

 長い間安静にしていたので、足腰がすっかり弱っています。10分も歩くと背中から腰にかけて痛んで腰をおろして休まないとなりません。前だとこれは当然毎日距離を延ばして鍛えていくべきところですが、鍛えるためには少し無理をしないとなりません。しかし、それはぼろぼろになった大動脈を思い出すと怖くて出来ません。皆も心配して無理をするなと言ってタクシーを呼んでくれるものですから、ついそれに乗ります。こうして一向に進歩のないまま3ケ月が経ちました。でも訪ねてきた知人が「退院されたころからみると随分元気になられましたね」と言ってくれるので、これでも少しは回復しているのかと半信半疑で思っています。

 このホームページの原稿を書いたり、研究計画案を作るお手伝いをしたり、殆ど私と秘書だけの静かなオフィスで人に会ったり、ワープロに向かって半日は仕事をする、その後は自宅で昼寝と読書というペースがようやく出来つつあるところです。でも、これでは単に仕事が減っただけなので、これからいよいよ第三の人生の模索を始めなければならないと思っています。

 

 
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