2001年11月のトピックス ノーベル賞の報道を聞いて 菅 原 努 |
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なお、京大学生新聞にあった野依教授の言葉「京大は以前、東大に対する反骨精神のようなものがあったと思います。しかし、京大が立派になったと世間から言われるようになり、人のやらない独創的なことをやろうとする気概がなくなっているのではないでしょうか。私が名古屋大学にいるのは、名古屋大学が私を必要とし、京大が私を必要としなかったからです。」を読んで、正にその通りと同感を禁じえませんでした。もう60年以上も昔のことですが、私が大学を受験するときに父から言われた言葉を今でもよく覚えています。それは「役人になりたければ、東大に行け。学問をしたければ京大に行け。」という言葉で、はっきりと京大の反骨精神を伝えてくれました。その時にそれを聞いた私は、京大をえらびました。私の旧制高校同期のある秀才は「おれはフロックコートを着る物理学者になる。」と言って東大に行き、本当に東大のある研究所の所長になりました。当時はその位考えて大学を選んだものです。 つぎは生理学医学賞ですが、アメリカのL.HartwellとイギリスのP.Nurse, T.Huntの3博士」が受賞しました。そこで、このことを報じるNatureの記事にも日本の新聞記事にも必ず出てきたのは、1998年のアメリカ医学会最高のアルバート・ラスカー賞をHartwell、Nurse両博士と共に受けた増井禎夫博士のことです。彼は1971年に、蛙の卵母細胞の分裂を促進するMPF(卵成熟促進因子)と卵形成後の受精なしの不用意な細胞分裂を抑制するCSF(細胞分裂抑制因子)を発見しました。その後数年以内にMPFの存在は米国のHartwellによって出芽酵母で、英国のNurseによって分裂酵母でも確認され、1983年にHuntによって、蛙、ウニの受精卵に存在するサイクリンが発見されました。その後MPF機能はプロテインカイネースCDKを活性化するサイクリンBタンパク複合体に担われており、その遺伝子も今度の受賞の対象の一つCDC2(酵母ではCDC28)と同定されました。 今から30数年前、厳しい研究環境のなかで、高価な培養装置を必要としない蛙の卵を使って、高価な器具も薬品も使わず、自らの手による細胞手術によってなされた発見が、その後膨大な研究費を投じてなされた分子生物学的業績によって裏付けられたことになるわけです。もう一つのCSFの遺伝子も今ではRcc1として同定されています。この増井博士の発見の経緯はご自分の口から語られ、それが私達の「21世紀の健康と医生物学シリーズ」の第一巻「からだを創る」(昭和堂 2001,2)に「卵成熟の生物学」と題して載っています。 増井禎夫博士は、京大理学部動物学教室の出身で、甲南大学を経て、米国エール大学で上述の研究を完成され、その後トロント大学に移られ現在は同大学ラムゼーライト動物学研究所で名誉教授として研究を続けておられます。 |
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