2011.6.2
 
Books (環境と健康Vol.24 No. 2より)

 

榎木英介 著

博士漂流時代−「余った博士」はどうなるか?


(株)ディスカヴァー・トゥエンティワン ¥760+税
2010 年11 月15 日発行 ISBN 978-4-88759-860-7

 

 

 本誌では前号Books で「人間にとって科学とは何か」、本号Books で「職業としての科学」を取り上げ、ここ100 年ほどの間に形成された、社会に「役に立つ」科学と紀元前から続く「知的探究心」としての科学の両面を紹介した。本書は、将来の日本の科学を担う30 代の若者たちの「高学歴ワーキングプア」の生々しい現実をえぐり出し、若手研究者の活躍の場を社会に拡大することを具体的に提案している。上記「職業としての科学」の提案と軌を一にするものである。

 著者自身は東京大学理学部動物学専攻の大学院を経て、神戸大学医学部に学士入学し、現在は医師として働きながら、かつての同僚たちの置かれている厳しい研究環境にメスを入れている。本書は2009 年の行政刷新会議でやり玉に挙げられた「特別研究員(PDF)制度」の「事業仕分け」の衝撃から始まり、「博士崩壊」、「博士はこうして余った」、「〈博士が使えない〉なんて誰が言った?」、「博士は使わないと損!」、「博士が変える未来」の各章からなり、最後に数人の有識者からのコメントが掲載されている。

 戦前の富国強兵の旧大学制度では、「末は博士か大将か」と言われたほど、社会的地位の高かった博士号はエリートの知的好奇心の結晶であった。戦後アメリカの大学院の仕組みにならった新制の大学院制度が創設されたのは1953 年で、評者もこの年に京都大学に入学した。その4 年後に理学部植物学専攻の大学院に進学したが、在学期限のない旧制大学院生(研究料は無料)、無給副手、無給講師がまだ自由に自らの研究を楽しんでおられた。勿論なかには定時性高校教師を勤めながら生活を支えている方もあった。職業として社会に役立つ学問という意識は無く、旧制度の論文博士と新制度の大学院の課程博士とは重みが違っていた。やがて新制大学制度の充実と共に、旧制大学院の先輩たちも新制大学の教官として去っていかれた。やがて植物学でも、微生物遺伝学はDNA の科学として華々しく変身し、医学の基礎としても「役に立つ」普遍的な知識として社会的評価が高まった。理工学全体としても、戦後の経済復興と共にブームが起こり、1960 年の「国民所得倍増計画」の一環としての「科学技術者養成拡充計画」により大学院の定員増が行われた結果、その10 年後の1970 年代には、博士課程を修了しながら定職を得られずに無給で研究を続けるオーバードクター(OD)問題、すなわち博士浪人が社会問題化した。そこで1985 年に誕生したのが、任期制「特別研究員制度」である。その上1980年代後半のバブル経済の余波と第2 次ベビーブーム世代の大学入学による大学教員の需要増でOD 問題はいつの間にか立ち消えになった。しかし当然のことながらその10 年後にOD 問題が再び生じ、21 世紀の「高学歴プア」が再来し今日に到っている。

 経済の無限成長神話と同様右肩上がりの研究職の増大はありえない。著者は博士号取得者の経験を活かした多彩な職場への進出を勧めている。すなわち科学技術関連の啓蒙書の編集やライター、政府・企業・マスコミのコンサルタント、高校教師、研究支援NPO など、「アカデミズムと社会の狭間の中間的な科学・技術」の活躍の場である。そこで「素人の科学」の底上げを行い、「研究は市民の権利」と思わせる知的市民の育成こそが、情報ネットワークの成熟した民主主義社会における政治参加の理想形だとして、「博士が変える未来」に希望を託している。

山岸秀夫(編集委員)