Books (環境と健康Vol.24
No. 2より)
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佐藤文隆 著 職業としての科学 |
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(株)岩波書店(岩波新書、新赤版 1290) ¥760+税 |
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本書は半世紀にわたって宇宙を相手に理論物理学を専攻してきた著者が、情報ネットワークの新時代を迎えて、「職業としての科学」に対する発想の転換を促すものである。章立ては、「科学という制度」、「知的自由としての科学」、「科学者精神」、「制度科学の気風」、「日本文化の中の科学」、「知的爽快」、「科学制度の規模」、「科学技術での雇用拡大」を内容として、その未来への想像力の肥しを科学の歴史に求めている。 まずラテン語を語源とする英語のサイエンスは、エチケット、建築、言語、政治、自然などについての体系的知識を意味するものであり、その職業名としてのサイエンティスト(科学者)は、アーチスト(芸術家)と区別するために、19 世紀前半に編み出されたものである。また19 世紀後半、明治初期に我が国へのサイエンスの移入に際して、対応した造語「科学」は「百科の学術」の略称である。その後日本の行政用語に取り入れられた「学術」については、『事実を一貫の真理に帰納した模範を「学」といい、学を活用して人間万般の事物に便ならしめるものを「術」というが、「学」と「術」とは科学においては相混じて判然と区別できない』との朱子学的見解であった。 サイエンス、科学の語源は、いずれも(1)人間に驚きと感動を与える「おもしろい」という要素と(2)社会的活動に「役に立つ」という両面を示している。本来個人の知的自由の活動としての科学は、17 世紀半ば頃に英国で同好の士が集まる自主組織が出来、それを後援する既成権威のパトロンがいたが、やがて富国強兵を目指す国家にパトロンが交代し、公的教育制度の整備と相俟って、社会への啓蒙の役割を担った。そこにヨーロッパ大陸の文学と芸術を支配した思潮としての「ロマン主義」科学が対抗して、サイエンスの概念が上記のように編み出されたのである。明治維新は丁度その頃で、日本の「科学」という造語にも、知的活動と社会的効用の二面が含まれていた。著者は終章で、専門家集団に独占されている現代科学技術が将来「素人の科学」へ回帰することを希望した評論家、加藤周一(1919−2008)の「民主主義の夢」を紹介し、芸術やスポーツと並んで、個人の健全な精神の営みとして持続可能な「科学という常人の職業」の次代への継承に望みを託している。そのために既存の研究職を若手にどんどん入れ替えて雇用を拡大し、研究経験豊かなシニアの知的財産を多様な社会的活用に生かすことを提案している。 元京都大学総長で、情報科学を専門とする長尾真は、著書『「わかる」とは何か』(岩波新書 新赤版713、2001)の「おわりに」で、「科学的知識は、実験・実証に支えられた壮大な体系をなしているが、ある種の場面では不覚にもほころびを見せることがある」、「20 世紀が知の時代であったとすれば、どうやらその時代は終わりかけており、情の時代、心の時代へと徐々に転換していきつつあると感じられる」と述べている。今や、市民が科学に一方的に「巻き込まれる」から、科学を「使いこなす」時代に対応する、科学思想のイノベーション(革新)が求められている。本年3 月に突発した、科学専門家任せの「原子炉安全神話」の崩壊の教訓はこの先駆けであるまいか。21 世紀情報ネットワーク世代での「素人の科学」も「情と心の時代の科学」も、シニア世代の知恵のリサイクルとしての本誌発行のモットーとする「アカデミズムと社会の絆」や「文理融合の知恵」と相通ずるものがあると思われる。
山岸秀夫(編集委員)
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