1999.9.27

 

  8. 高令化社会の構造
 

 

 わが国は今では世界一の長寿国になった。それに出生率の低下とが重なって急速に高令化が進んでいる。一般には高令化とは人口のなかに占める老人(例えば65才以上)人口の占める割合がどんどんふえていくことを言っている。例えば生産年令人口で老年人口を割ってパーセントになおしたものを老年化指数と言うが、これは1920年から60年までの間は大体8乃至9の間にあったが、その後急速にのびて1989年には16.7になり、将来予測としては2021年には23.6にも達すると考えられている。この値が10であれば10人で1人の老人をささえればよいが、25にもなると4人で1人という負担になり大問題だという訳である。ヨーロッパの先進国はこの値が既に15〜18と高い値であるが、これは百年近くかかってこうなったのに、わが国では急速にこうなるから大変だという訳である。これについて古川俊之(高令化社会の設計−−中公新書)は、これは統計のとり違いでそんな心配はいらないと主張している。すなわち生産人口の全人口に対する割合をとれば、1920年で0.462、1980年で0.477、今の年齢階級別就労人口比率が続くと仮定すると2025年でも0.477で現在と変わらない。また労働力も女子や高令者の就労を考えれば決して不足するとは考えられないと説く。

 高令化に伴う問題は医学面にもある。今でも老年病や痴呆が大きな社会的負担になっているのに、老人がふえればその数がますます増えるというものである。これも単純な数字の掛け合わせで出てくるもので、現実は決してそのようにはならないと考えられる。平均寿命が伸びるということは、それだけ各年令での死亡率がへるということである。私の試算によると1990年の65歳ほ男性は、1960年即ち父の時代の56歳、1930年即ち祖父の時代の50歳と同じ死亡率である。死亡率をその集団の一つの健康指標と考えると、日本人はそれだけ若返っていることになる。しかし残念ながらわが国では罹病率についてのしっかりした統計は発表されていないが、アメリカのスタンフォード大学のJ・F・フリーズが罹病率の低下をアメリカのいくつかの調査にもとづいて示している。この時大切なのは罹病率のとり方である。わが国の統計では健康保険で何々病とした者はみんな罹病者と見做すから、罹病率は老人がふえると共に益々ふえることになる。これはおかしいので、自分自身を考えても、高血圧で内科、白内障で眼科、腰痛で整形外科、入れ歯で歯科と受診しているし、また何か新たな病気で受診するかもしれないが、別に休みもせず公益事業のお手伝いをしている。従って高令化社会はみんながその気になって対応すれば心配はいらないと言えそうである。その上に更に老化の研究を推進してより長く人々が元気でいることが出来るようになれば、何時までも65歳以上を老人として老年化指数を計算して心配させるのは人を誤らせるものと言わねばならない。73歳を今の65歳の若さにまで引き上げることが、我が国の高齢化対策として必要なことを私の主張今月のトピックス)として論じた。

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