1999.7.5
 
「環境と健康」 Vol.12 No.3 June 1999
Editorial

ニッポンを若返らせよう
菅原 努
 

 

 去る3月22日から新聞(毎日新聞)の朝刊に三回ほど「ニッポンをほめよう」という全面広告が載った。“反省は、たしかにした方がいい。悪いところがあれば、ただちに直そう。けれど、最近、思います。この国は、必要以上に、自信をなくしてしまってるんじゃないかって。ちょっと前まで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんてチヤホヤされて舞いあがっていたくせに、少しばかりつまずいたら、すぐにシュン。極端すぎや、しないかな。ここらでひとつ、エイヤツと流れを変えてみようじゃないか。以下略”これはそこに名をつらねた60の企業が発信する、共同声明ですと書かれている。最初に出てきたのは吉田茂ではないかと思うが、それが葉巻をくわえているところが気にくわぬと家内は言う。しかし私はこの呼びかけには大賛成である。その後次々といろんな人のニッポンへの激励の言葉が紙面を飾っているようであるが、ここで一つ私なりの激励を試みることにする。

 何より気になるのは、新聞に見られる激励がどうやら相変わらずの精神論のようなことである。勿論精神的な支えも大切ではあるが、それだけでは戦争中の竹槍戦法と精神論になってしまう。もっと具体的にニッポンを元気づける方法を提案したい。私はかねてから日本人はこの60年位の間に著しく若返ったと主張してきた。この提案はその延長線上にある。この国は今急速に高齢社会に入りつつあるが、それに対して国としての対応が遅れており、国民はみんな老後に不安を持っておりそれが今の不景気(消費の低迷)の大きな要因であると考えられている。私のこれに対する解答は、国民を暦年では高齢でも生理的には壮年であるようにすること、である。即ち若返りである。しかもそれは現にある程度は成功しつつあり、あともう一二歩頑張れば良い。それには銀行を救う費用の10分の1いや100分の1の研究費としっかりした政策さえあれば可能ではなかろうか。

 日本人の平均寿命が世界一であり、それがまた伸びた、ということに対して、それは乳幼児死亡率が低下した見かけのもので喜ぶには値しないという批判がある。それは間違いである。私が調べたところ、祖父の代(1930年)の50歳、父の代(1960年)の56歳と現在(1990年)の65歳男性とが同じ死亡率である。即ち祖父の時代からは15歳も若返ったことになる。これはゴンペルツ関数(年令に対して年齢別死亡率をプロットした線)が下へ平行移動することによって、全体としての若返りであることが示されている。今65歳以上を高齢者として色んな計算をしているが、もっとみんなが若返れば70歳あるいは75歳を高齢者の下限にすることも可能である。反対に定年をそれまで延長するのが妥当ということになろう。日本大学経済学部の小川直宏教授の試算によると、73歳以上を高齢者とすればその割合は17%となり今後ともほぼ一定で、高齢者の増加を問題にする必要がなくなるとのことである。現在の65歳以下でそれ以上の高齢者を支えるという仕組みを73歳を境にするように組み替えればよい訳である。勿論73歳までの人生と仕事との関係については今のままでは円滑にはいかないであろうから、それまでの人生を2又は3の段階に分けて仕事と収入を配分していかなければならない。ただし日本医師会は高齢社会への対応として高齢者医療制度というのを提案しているが、この際には75歳以上を対照にしているが、医師会の試算では小川教授のそれとは異なりなお今後とも増加していくしている。この点はさらに検討を要する。何れにせよこのように収入をあげる階層をフレキシブルに考えるという発想は可成り以前に古川俊之が「高齢化社会の設計(中公新書)」のなかの“いったい高齢者を何人で養うのか”という項で述べている。これを具体化するのは政策の問題であり、社会学や経済学に頑張ってもらわねばならない。この新しいシステムこそは、日本でのみ可能であり、世界に誇るべき創造的なものではなかろうか。また世界一の長寿を誇るわれわれの責任でもある。

 では一体73歳の健康状態を今われわれの考えている65歳のそれにまで高めることが可能であろうか。それには次の図を見てもらいたい。これは国の資料から男性の年齢(5歳階級)別死亡率の60−64歳と70−74歳のものの経年変化を示したものである。何れも1990年頃までは直線的に低下している。70歳代の低下がこのまま直線的に進むとすれば、2020年頃には70歳代のそれが1990年の60歳代のものにまで低下すると推定される。このことは最初に示した健康状態の改善の可能性があることを示唆している。しかし、1995年の点はどうやら70歳代の死亡率の低下が鈍化していることを示しているようにも見える。さてここからがわれわれの研究課題である。

 この図の解釈にはいろんな問題があり、今までの若返りの理由についても明確な答えが出されていない。それだからこそこの問題に正面から取り組んで行こうと提案しているのである。国民の健康をあずかっている筈の厚生省もいつもこうなりましたという発表はするが、その原因の探求とその対策には消極的である。成人病をようやく生活習慣病としたのがせめてもの取り柄である。対癌10ケ年計画も第二期にはいっているが、がん死は依然として増えていますと言うばかりで、積極的にどのがんを目標としてどれを減らす為にどんな研究を推進するとか、国民に何を呼びかけるかといった具体性がない。アメリカでは、研究の成果があがって、その目標通りこの数年がんの罹患率も死亡率も減少しはじめたと大いに意気さかんである。日本でも今までの消極姿勢をやめて、国民の健康増進に積極的に取り組み、それによって高齢社会問題を一気に解決しようではないかと提案しているのである。

 実は、このような議論はアメリカでも行われている。2月5日号のSCIENCE誌にEdward L. Schneiderという老年学者が政策論議を書いている。そこで21世紀のアメリカでの高齢者問題に対して、老化研究の立場から2つのシナリオがあるとしている。第一のシナリオは老化研究、病気の予防、治療の研究が大いに進み2040年の85歳が今の70歳の若さになるというものである。勿論これにはそれだけの研究努力が必要である。もう一つのシナリオは今の程度の研究努力しか続けられなかった時で、2040年の85歳は今の85歳と同じ程度の健康状態で、当然その介護に多大の経費と人手とが必要である。その経費を今研究に投資すればというのが彼の主張したいところではなかろうか。この議論がアメリカでどの程度受け入れられているかは知らないが、まず我が国で始めることではなかろうか。その意味では先に発表された政府の21世紀委員会にこの分野の専門家が一人もいないのが残念である。

 この問題に取り組むには先ず、この30年位の間の我が国の急速な平均寿命の伸びの本当の原因は何かと言う問題を解かねばばらない。勿論その初期には青年期次いで幼年期の死亡の減少が大きな要因であったであろうが、最近ではその点は既に底を打ち、高齢者の死亡率そのものが低下している。これをある人は医療の普及と言い、またある人は経済の発展という。しからば、何故アメリカが日本より遙かに下にあるのか、に答えねばならない。これは既にL.A.Saganが10年以上前に提起した問題である。また古川も前述の著書で高齢者と病気について分析をし、死亡の因子の年度変化の分析などを試みており、その後さらに詳しく日本人の生命表の経時変化をワイブル近似で分析している。しかしここで掲げたような意味での立場からは未だ残された問題は多いのではなかろうか。兎に角この問題は見かけ程簡単ではない。どこまで課題に迫れるか仲間を募ってチャレンジしてみようではないか。

資料

  • 糸氏英吉:わが国の老人医療  日中医学 13(6)12−16, 1999.
  • Sagan, Leonard A.: The Health of Nations---True Causes of Sickness and Well-being. Basic Books, Inc., Publishers New York, 1987.
  • Schneider, Edward L.: Aging in the Third Millennium. Science 287: 796-797, 1999.
  • 古川俊之著 高齢化社会の設計  中公新書  1989年1月発行
  • 古川俊之著 寿命の数理 「行動計量学シリーズ」 朝倉書店 1996年7月発行 (特にその中の4.7ワイブルモデルによる日本人の寿命分析。)
  • 小川直宏:中井吉英の発言  「環境と健康」12(2)102, 1999.
  • 菅原 努:日本人は若返っている。菅原 努著第二の人生の楽しみ(金芳堂、1996)pp.74−79.

註: 私はかつて経済学者の協力を得て、日本人の寿命の伸びの分析を試みたことがある。高齢者の死亡率の季節変動が1980年頃から殆ど見られなくなり、丁度その5、6年前にアルミサッシの生産がピークに達しているという符合を見出した。その後この様な調査を続けたいと思いながら残念にもそのままになっている。
菅原 努、唐沢 敬、武田篤彦:日本人の長寿の科学的研究(1)月別にみた死亡動態の経年変化とそれに関係する経済的要因について。 環境と健康 5(6)8−13, 1992.