1999.9.1

 

  5. 日本人の寿命---狩猟採集から農耕へ
 

 

 今までに時代と共に変化するのは平均寿命であることを述べたが、それをわが国について調べてみよう。これは老化研究の第一歩である。なお本項は私の専門外なので、それぞれの専門書から引用させて頂いた。

 わが国には氷河時代(200万〜1.5万年前=更新世)に浅くなった大陸との間の海を渡って石器時代に人々が渡って来たと考えられる。同じ頃にベーリング海峡も陸続きになり、アジアからアメリカ大陸に人々が移っていったと考えられるが、一体このように人類が世界中に広がっていくその原動力は何であったのか。コロンブスのアメリカ発見500年で、コロンブス達が西インド諸島で会ったのは本当の人間かなどという議論がスペインで真剣に議論されたという記録を見ると、余りにも白人中心の物の見方を反省すると共に、この人類のエネルギーの謎を考えさせられる。

 さて日本列島では1万年位前までは石器を用いて狩をしたり、自然の木ノ実をとったりの生活であったと思われるが、その後土器が作られるようになると、それを用いて採集した食物を調理したり、保存したりできるようになり人口が急激にふえだした。この土器には縄をおしつけて紋様をつけたものが中心で、これを縄紋人という。残された骨からの推定で15才の平均余命を人口学の小林和正氏は男16.1年、女16.3年としている。15才以下は骨がもろく保存されていないので菱沼従尹氏はこのデータを使い15才までの生存率を40パーセントと仮定して、縄紋人の出生時の平均寿命を男女とも14.6年と計算している。このころ人口をきめるのは採集しうる食料の量であり、日本ではそれの豊富な東日本の人口が高かった。

 そこへ約3千年前、九州の一角に形の整った水田が出現する。これは早くから稲作の進んでいた大陸からの影響と考えられるが、これによって食料採集の生活から食料生産への転換が生じ、これが西日本から順次広がっていった弥生文化で、人口の中心も次第に西へ移動した。余談になるが、この稲の渡来の道については、朝鮮半島を経由する北方説、中国の江南地方からとする南方説、さらにインドネシアから沖縄を経由する海上の道説の3つが議論されている。

 さて、この農業革命の健康への影響には二つの考え方がある。前出の小林和正氏は出土人骨からの推定で15才時平均余命が30年前後と二倍に延びたとしているが、菱沼氏は縄紋人の水準と変わらないとしている。その理由として穀物への過度の依存による偏食ことに動物性蛋白の不足が考えられ、そこへやがて旱魃による飢餓という問題を生むようになったのである。  

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