1999.9.1

 

  4. 平均寿命と最長寿命
 

 

 わが国の平均寿命は1960年頃は先進国のなかの最下位であったが、今や男女共世界一である。この平均寿命は何千年も前には15、6才であったと考えられる。この平均寿命の推移についてもは後でもう少し詳しく述べるが、これはうまれた人が平均何才まで生きられるかということを計算したもので必ずしも個人個人の寿命とは対応しない。すなわち幼い時に沢山死ねば当然平均は小さくなるわけで、実際にそれが昔平均寿命が短かかった最大の理由である。最近でも1998年の日本の男性の平均寿命が0.03才短くなった。この原因はがんなどではなく、40、50才代の自殺の増加によるとされている。このように歴史的に見て平均寿命は変化しているが、最長寿命そのものは殆ど変わらず90才から110才の間にあったと考えるのが多くの学者の一致した意見である。

 さてこの最高寿命については二つの問題がある。一つは老化研究が進めばこの最高寿命は延びて200才、300才まで生きられるようになるだろうかということである。これは正に不老長寿の夢に近づくことになる。私が「長寿の科学(共立出版・1989)」を一緒に書いたヨハン・ビヨルクステンはその最後に未来像として「寿命延長のための大きな障壁が2050年頃に打ち破られたのちは、医学の進歩は極めて急速なものになった。しかし健康で生産的な150才の平均寿命を超えるのには、なお200年はかかった。」と述べている。私はこれに対して生物としての人間の寿命はそんなに延びないと主張し、ビヨルクステンはこれに対し、将来の発展の可能性を過小評価するなと反撥した。

 さてもう一つの問題は、エクアドルのアンデス山脈のなかのビルカバンバ、旧ソ連のグルジア共和国のコーカサス山脈のなかのアプカアイア、およびカシミールのカラコルム山脈のなかのフンザ地方にいるという150才をこすという超高令者のことである。この前二者を訪れて健康調査をした家森幸男京大教授の話では元気な高令者が沢山居ることは間違いないようである。ただ彼等の年令については信じられないというのが実際に調査した多くの専門家の一致した意見である。例えばビルカバンバでは息子が父親と同じ名前を名乗っているので、ローマ・カソリック出生記録によって年令を教えたと言っても実はそれは父のものであることが分かったという例がある。この点は明治になって戸籍制度が完備されてからの日本の長寿者の記録は確かなものである。

 私の友人の生理学者万井正人は人間の寿命の限界は120才であると推定している。その根拠は、体力の成長と減衰のカーブを描いてみると、20才をピークとしてそのあとはこの上昇の勾配の5分の1の速さで低下してくる。生きる力を蓄えるのに20年を要したとすれば、老年期はその5倍の100年となって、120才まで生きる勘定である、ということである。

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