2000.5.8

 

  18. 自動車と人体との違い
 

 

 年が経つほどあちらこちらにガタがき、そのきかたが使い方で個々に違うということも自動車とヒトとはよく似ている。また長年使っていても調子のよい車と、一、二年で故障続出の車があるように、ヒトも多くの機能が老化と共に衰えるが、その程度に個人差が大きく高令になればなる程その差が目立ってくる。それではヒトも自動車と同じで、そろっといたわりながら使わなければならないのか。これはある面では本当であるが、もう反面ヒトと自動車との根本的な違いに注目しなければならない。

 それは自己修復能力と廃用萎縮ということである。自然環境の障害作用に対し、生体はこれを防ぎ一旦ついた傷も修復する能力を獲得することによって進化をとげて来た。トカゲの尾は切ってもまた生えて来るとはよく言われることであるが、ヒトの体でもこのような組織の再生能力はかなりよく保たれている。皮膚の切り傷がきれいに治るのは誰でも経験するところであろう。最近新聞紙上を賑わした生体肝移植も、提供者の親の肝臓の一部を切りとる訳であるが、それはやがて再生して元の大きさに戻るのである。単に修復するだけでなく筋肉などは毎日重い物を持つなどの負荷が続くとこれに対応して肥大して容易に力が出るようになる。これはスポーツのトレーニングを考えればよく理解されよう。

 これの反対が廃用萎縮である。難しい言葉であるが、くだいて言えば使わなければ衰え萎縮してちいさくなって了うということである。その代表は寝たきりであり、最近の話題では宇宙旅行である。寝たきりになっていると身体を使うことがないから、手も足も衰えて益々動かなくなる。動かす力がかからないので骨ももろくなる。動かすために頭を使うということもないので脳の働きまで衰えて了う。宇宙旅行は無重力状態で長いこと過ごすことになる。私達は普段重力に抗して身体をささえているので、これがなくなると筋肉が弱くなるだけでなく、骨のカルシウム分がぬけてもろくなって了う。このようなことを防ぐための工夫がいろいろと考えられている。

 使わないというのは思いがけないところにあるもので、わたしは下の臼歯の代りに義歯を入れているが、歯科医にX線写真を見せられるとその部分だけ下顎の骨が薄くなっている。歯から骨へという力が加わらない為の廃用萎縮ですと言われて愕然とした。兎に角適度に使うということが必要である。体も頭も同様に。

 自動車との比較でもう一つ類似のものは運転の慣れである。この位の道なら通れるかの判断とかハンドルと反対の側に一杯まで寄せるには頭の中で自分の運転する車の大きさを描きながら予測をするわけである。これは車でなくとも前に小さな溝があるときにえいやっと飛び越えられるか、そのつもりで飛んだ所飛び越えられずに溝にはまったというのも同じ原理である。このような経験が年と共にふえてくろがこのような行動の予測をうまく出来るかどうかを心理学ではアフォーダンスAffordanceという。老化と共に自分の身体的能力が落ちていることによく適応してアフォーダンスの良い人が幸福な老年をおくれるようである。

 

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