2001.5.1

 

 

5. 粒子医療センターの開幕

 


 4月28日はゴールデンウイークの初日です。前の晩にテレビを見ると連休中の交通事情の予想というのを放送していて、新幹線が一番混むのが28日という見通しですと、言っています。これは大変と28日朝先ず駅へ相生までの指定席を買いに急ぎました。しかし新大阪で予定のこだまに乗ってみると自由席はガラガラで、指定席の方が混んでいるという状況でした。こうして相生の駅で降り、待っていた迎えのバスでこれから行く兵庫県立粒子線医療センターの説明を聞きながら約30分で竣工記念式の会場に着きました。

 この粒子線医療センターは、昭和62年度から始まった「ひょうご対がん戦略」の目玉として企画、立案、整備されたものです。約280億円の予算を使いシンクロトロンという大型の加速器を持って陽子線だけでなく、炭素線も出せる世界初の病院です。式のあと施設をくまなく見学させてもらい、そのすばらしい施設に感嘆したのは私だけではなかったと思います。式での挨拶と頂いたパンフレットから二三気のついた言葉を拾ってみます。

 国の縦割り行政では技術は文部科学省、医療は厚生労働省でなかなか出来ないことを県ではそれを一本化してやろうということです。この病院には手術室というものはないそうで、切らずにがんを治すということに期待しています。粒子線治療の適応には比較的早期の原発性がんを考えており、進行がんに対して姑息的治療のために用いるべきものではありません。患部への線量集中性がすぐれているという荷電粒子線としての特性を利用して、がんを縮小、消滅させるとともに、周囲の正常組織への障害を抑えてQOL(クオリチイ・オブ・ライフー生活の質)に配慮した、がん放射線治療を行います。病棟のコンセプトは“個(プライバシー)の尊重”と“集い憩う場”です。などなど。

 見学をおえて帰りの新幹線に乗った私は、敗北感というか、これはこれでまた別と割り切ろうと、複雑な気持の整理に時の経つのを忘れました。というのはわが国で粒子線治療が中性子線を使って初められた1970年代に、放射線生物学を研究していた私は、この高額装置による治療に対抗して“貧乏人のサイクロトロン”計画というのを提唱したのです。多分それは1976年のことだったと思います。装置に頼らず頭を使うということで、粒子線治療の上にも挙げられている特長、集中性と高い生物作用、を遥かに安価な物理的または化学的方法で達成しようというものです。文部省の科学研究費でプロジェクトチームを作り、また国際的にも協力体制を作りました。しかし20年余を経た現在、それを振り返ってみますと、沢山合成され試された防護剤、増感剤は未だに薬剤として認められたものはなく、物理的方法である温熱療法だけがわが国で健康保険でも認められ正式の治療法になったにすぎません。それに比べて粒子線治療はかつての中性子線からみれば格段の進歩で目を見張るものがあります。本当の勝負はこれからかもしれませんが、このホームページのなかにある温熱の症例の記事などからも分かるように、その普及の難しさが大きな壁になっていることは否定できません。

 がん温熱療法の問題は、治療に時間と人手がかかることだと言われています。しかし、この粒子線治療センターのことを考えれば、これだけの費用と人手を掛ければ、いやこの10分の1でも十分で、それで本当に一人一人の患者さんに充分な温熱療法をすることが出来れば、かなり進行した場合でもその生活の質を考えた治療が出来るのではないでしょうか。粒子線治療が早期を狙うのであれば、もっと広く患者さんを受け入れられる施設としてハイパーサーミアセンターを数多く作ることが急務であると思うのですが。これが八十路の繰言にならないように努力したいものです。