2003.5.8
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28. 第二の人生から第三の人生へ(最終回) |
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私は1996年に「第二の人生の楽しみ」(共和書院)という本を出しました。第二の人生は老化と病気を否定できないが、多病息災で少しでも元気があれば社会に向かって何でも出来る事をするが楽しみではないか、と言う趣旨でした。4年前に75歳以上で元気のある方に聖路加病院理事長の日野原重明先生が呼びかけて作られた「新老人の会」も同じような趣旨ではなかったかと思います。しかし、大動脈解離と言われ蛇行し凸凹になった大動脈のCT写真を見せられたときに、私はこれからは若し生きられるとしても今までの第二の人生ではなく、第三の人生を模索しなければと感じたのです。ではその第三の人生とは一体どんなものか、とそのとき以来考え続けているのですが、具体的な形は未だに?のままです。 今までは、元気に活躍していて急にポックリと逝ければ一番よいと思っていましたが、いざ自分がそれに近いことを経験してみると、これは社会に対して大変迷惑をかけるし、自分も心の準備が出来てなくて、どちらにも良くないと感じたのです。仕事は突然中断するし、皆さんは心配されるし、病気の療養にも良くはありません。社会と全く切れてしまうのは精神の孤独を招くのでよくないし、身体もある程度には動かした方が寝たきりにならないでよいでしょう。最近尊厳死ということがよく言われますが、その前に世間から騒がれずに心豊かにしかも静かに、こっそりと死んでいきたい、そのような条件を何とか作りたい、というのが私の第三の人生への願いです。社会のためと思っていろんな仕事をお引き受けしてきましたが、残念ながらそれから離れなければ私の求める静けさは得られないでしょう。 今まで健康談義と偉そうなことを言ってきましたが、その私の大動脈がこんなにぼろぼろでは、一体私の健康法とは何だったのでしょうか。実は1997年に狭心症を患って冠動脈撮影のX線像を見せられたときにも、同じようなことを感じたのです。でも幸いそれからは立ち直ることが出来ました。今度もお蔭様で私の歩け歩けが良かったのか、冠動脈の狭窄は進んでいませんでした。ところがその先に大動脈という伏兵があったのです。これは若い頃の、未だ自分の健康に余り気をつけなかった頃の、暴飲暴食のせいであんなにひどい状態になったのでしょうか。兎に角もう偉そうに健康談義などと言える自分でないことを悟りました。 ただ社会との細い糸をつないでおきたいので、次からは「八十路のつぶやき」としてその時々の思いのままを記させて頂きたいと思います。その中には何時破裂するか分らない大動脈をかかえて生きていく苦労話も書きたいと思っています。ひきつづきお読みいただければ幸いです。 |