2002.12.1
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24. I 氏の喜寿のお祝に |
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厄年の解釈はつぎの通りです。40を過ぎて実際の体力は徐々に落ちてきていますが、本人の頭のなかでは若いときのままの体力があると思い込んでいます。その体力(頑張りといったことも含めて)について実際と自分の思い込みとの開きがある程度大きくなったところで、がたんとつまずくのです。これに気を付けて無理をしないように合わせていくことの大切さを教えたのが厄年ではないかと言うのです。 昔は、というのは私の父などの時代は、60までには退職し還暦でもう一度元に戻って、伸びやかな第二の人生を迎える、ということではなかったでしょうか。それまでに人生の全てを一通り経験し、60歳からは別の立場で物事が見られる、よく言えば新しい別の人生が展開したのではないでしょうか。人生80年の時代になった現在では、これを80歳においてはどうでしょうか。私は予て70歳が一番人生が楽しいという岡本道雄先生の説に同意していました。すると喜寿を迎えるころにはそれも終わりに近づいて、体力の衰えが気になり始めます。それだのに80歳が新しい還暦で第二の人生の始まりなどと言うのはおかしいと思われるかもしれません。確かに医学的にはそうかも知れません。しかし私がこの八十路から・・・を書いている気持ちは、初めにも紹介したように八十にならないと見えないものがある、そこから新しい視野が開けるのだという実感があるのです。 そうすると喜寿の77歳は何でしょうか。それは正に胸突き八丁目です。80は目の前です。でも70歳台の元気が衰えつつあり、老化が身につまされます。しかし、ここをうまく乗り越えられて、頭や身体の使い方を80歳にうまく適応させることに成功すれば、次の新しい地平が拓けてくるように思えます。多分そのせいで昔は傘寿などと言わず、喜寿から米寿に飛んだのではないでしょうか。80の峠を越えれば次は88の峠があるということでしょうか。 I 先生、いよいよ一踏ん張りです。しかし下手に頑張ってはいけません。ここで上手に調子を下げて次の段階に合わせ、これからの人生を楽しんでください。思いがけない視野が広がりますよ。 |