2002.5.1

 

 

17. 定年後を如何に過ごすか

 



 3月末で何人かの知人が定年を迎えました。その人たちや他にも定年になった人に4月から仕事を手伝いませんかと声をかけると、意外なことに多くの人から「今まで何十年も勤めてきたのですから、しばらくのんびりとしたいのです。」とやんわりと断られることが多いのに驚きました。私がお願いしようとしているのは、普通の収入をえることを目的とする仕事ではなくて、所謂ボランテイア的な社会貢献を目指したものなのですが。断られる方は、趣味のようなことをやりながらのんびりとしたいと言われるのです。そこで私は日本老年医学会雑誌(39巻2号152〜154頁、2002年)にあった柴田 博氏の「サクセスフル・エイジングの条件」という記事を思い出しました。そこではサクセスフル・エイジング(欧米では、良い人生を送り天寿をまっとうすることをSuccessful agingと呼ぶ。これに相当する日本語は存在しないのでとりあえずカタカナで表す。−著者)の構成要素として、

1.天寿  2.生活の質(QOL) 3.Productivity(社会貢献)

を挙げています。そこで次のように言っています。

 欧米社会では、比較的最近までProductivityはサクセスフル・エイジングの構成要素にも入ってなかったことである。

 それは、Productivityに有償労働がふくまれているからと考えられる。その精神風土の起源は旧約聖書の創世記にまでさかのぼることができる。そこには、神は人(男)に対し「地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る、地はあなたのためにいばらとあざみを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。・・・・(後略)」と書かれている。労働は禁断の木の実を食べた人類に与えられたステイグマと規定されている。旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する人々の聖典であり、大きな影響を与えてきたのでる。

 マックスウエーバーはピューリタニズムの勤勉は、資本主義の精神であると述べている。しかし、旧約聖書の影響を受けた人々にとって労働はあくまで手段であり、人生の最終目的は安息ということになるであろう。日本人がワークホリックであるという批判を受けるのは“何時間働くか”ではなく、“働くことが人生の目的や生きがいになる”といメンタリテイであることを理解しないと、ことの本質が見えてこないのである。

 老年学には、生涯現役を良しとする活動理論(active theory)とHappy retirementをモットーとする離脱理論(Disengagement theory)の間の論争が長い間存在し、まだ決着をみていない。サクセスフル・エイジングの中にProductivityをいれるのも主としてアメリカにみられる傾向であり、欧米には離脱理論のムードの方か色濃い。

 さて引用が大分長くなりましたが、ではお前はどう考えるのだ、という質問に対する私の答えはどうかということです。日本の実情でいえば60から65歳位で定年になって、昔のようにあと数年であの世へ行くというのならいざ知らず、人生80年になった今はあとが随分長いということを十分考える必要があるということではないでしょうか。のんびりと趣味にひたってと言っても、外からの刺激がなくて20年も続けることが出来ますか。少しのんびりとしてぼんやりしていると何時の間にかぼけが始まるかもしれません。私は自分の経験から、息永くつづき目標に向かって少しづつでも前進することが喜びになるようなもの、といえばやはり自分の身に合った社会貢献しかないと思います。その上、幸か不幸か私は旧約聖書に捕らわれる必要がありませんし、贅沢を言わなければお金のためにそんなにあくせくすることもありません。そしてほどよい労働(広い意味で何か社会のために仕事をすること)は、心に満足感と身体にこころよい疲れを与えてくれます。せめてこれでぼけになるのが防げればそれだけでも社会の為だと思っています。