2006.2.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  33. 老いとの闘い
 

 

 この2月で私もとうとう85歳になってしまいました。いまどき85歳など珍しくもないのですが、私の両親が父は81、母は84歳で亡くなり、そのときにはもう十分に生きてもらったからと悲しまなかったのですが、自分がその歳を越えてみると妙な気分です。かねがね言っているように日本人は平均寿命が伸びただけでなく、それに応じて若返っているから、今の85はまだ昔の75だと思えばよいのですが。自分のことになるとそう簡単には割り切れないものです。先日も中学、大学と一緒で、京大教授としても仲間だった友人が85歳で亡くなりましたが、彼は余計な医療を受けないで衰えながら尊厳死を遂げたと、心の中では見事なものだった感心しながら、自分は何時それをどんな形で迎えることになるだろう、そのときはどんな気持ちでおれるかな、と何となく寂しい思いをしています。

 私達の財団で、はその研究成果を発表するものとして1988年以来「環境と健康」という雑誌を会員制で発行してきましたが、今年からそれを市販しようということで、単なる研究成果だけでなく、社会的にも話題になりそうなものを特集とし取り上げることになりました。その最初は私が編集して特集「老いとの闘い」を取り上げました。そのなかで私は最初に「老化研究と養生訓」というのを書きました。その出だしは次のようです。

 誰でも「健やかに老い天寿を全うしたい」と願っているでしょう。それには近代の進んだ科学や医学が大いに役立つだろうと思っておられるのではないでしょうか。でも実際はそう簡単ではありません。一体健やかな老いとは具体的にどのようなものと考えられますか。そして一体天寿とは何歳でそれは各人にどのように決まっているのでしょうか。どうも人びとはそのようなことは厳密には考えずに漠然と何となく何時までも元気でいたい、それには何か特別の方法があるのではないか、と思っているだけではないでしょうか。それに対する識者の答えが所謂養生訓です。高齢まで生きた識者が自分の人生を振り返って教訓をたれているのです。
(中略)
  最近では,新聞での死亡公告で見る限り、80歳でも90歳でも殆どが肺炎とか心不全とか病名が書かれていて、老衰死などというのはごく稀です。どうやら医学が進歩すると死ぬというのはすべて病気によるということになるのでしょうか。私は祖祖母(ひいおばあさん)が94歳で自宅で眠るように死んでいったのを経験しているので、自然な老衰死というイメージが頭に残っているのですが、今の病院ではそんなことはありえないでしょうね。自然な老衰死がないとすれば、一体寿命とはどうして決まるのでしょうか。もう85歳になったから、と言うと、「いや80代なんてまだまだ若い90にならなければ」と言われます。でももう平均寿命は十分超えたのだから、そろそろ天寿と言ってもよくはないか、とも考えるのですが。

 これは実は初めに書いたような私の現在の心境を正直に告白したものです。もう、引退だと一方では思いながら、今日もオランダの放射線医とのメールのなかに、「これからもメールを通じてのこの議論を続けよう」と書いてから、おや、もうこんな現場の議論からは手を引くはずではなかったか、と自己反省していました。それはハイパーサーミア(がん温熱療法)のありかたについての議論ですが、これを何とか世界に普及させたいという私の希望がつい歳を忘れさせるのです。死ぬまでそんな夢を追っかけていればそれも幸いではないかとも言えますが。命の尽きるときが天寿だということにして、出来ることをこれからも細々とやっていくことにします。だんだんと話が寂しくなってきました、この次はもっと大法螺を吹いてみることにします。そのはしりとして、雑誌「環境と健康」の宣伝をさせて頂きます。

 特集「老いとの闘い」では健やかに天寿を全うすることを闘いの目標としています。内容は、私の「老化研究と養生訓」で始まり、基礎医学からの老化研究の最前線の話、臨床医学からは生活習慣病の次に来る問題として生活機能病とその予防、わかりやすく言えば「寝たきりの予防」こそが長寿社会での最大の課題であるとの主張を展開しています。最後に私達がリスク研究の余技として交通事故の統計を老化の立場から分析してみました。年を取ると運転能力が落ちて事故を起こし易くなることが心配されていますが、同じ事故でも老化によって死亡に至り易くなるようです。でも男性より女性は強いのです。この特集を、高齢者に限らずその予備軍である定年を迎える団塊世代にお勧めし、このホームページと共にご愛読をお願いする次第です。詳しい目次はこれの出版物のページをご覧下さい。

 

 
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