2003.6.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  1.内科的超安静療法
 

 

 後で述べるような次第で突然の激しい痛みのために、救急で病院に飛び込んだ私は、思いがけない経験をすることになりました。最近は医学も新しい科学技術をどんどん取り入れ、病気の治療は積極的にいろんな処置をするものと思い込んでいましたが、幾つかの検査をした後に、「これから内科的超安静療法をしますから、当分ベットから離れられず永い退屈を我慢して下さい」と言われて驚きました。6年前に狭心症で入院したときの積極的治療(PTCA)のことが頭にあったので、同じ循環器疾患でもこんなに違うのかと半信半疑でした。その病気は下行性大動脈解離です。

 2月18日の朝、一度トイレに行った後もう一度寝床にもぐりこんで間もなく背中に激痛が走ったのがことの始まりです。自分でも狭心症の再発と思い、緊急入院した京大病院循環器内科でもその日の午後に冠動脈撮影を行なってくれました。結局冠動脈には異常はなく、大動脈に異常ありとして、つづいて行なったCT撮影でこの病名が確定しました。治療は安静を保って血圧を出来るだけ下げ、解離の自然治癒を待つというもので、上のような説明を受けたのです。

 勿論この間意識ははっきりとしているので、外からは分らなかったようですが、意識よりもう少し上の思考力とでもいうべきものについて、実に不思議な経験をしました。それが実はこの原稿を書く目的なのです。治療の目的で普段は140〜150mmHgにコントロールしている血圧を120に下げています。その上合併症として胸水が溜まり、一部無気肺が生じて酸素飽和度が下がっていました。また夕方になると38℃位の熱がでました。従って意識はあっても何となくぼやっとしていたのは当然でしょう。点滴や酸素吸入をしながら一杯モニターをつけて、退屈どころか一日うとうととしていました。そのうちに段々合併症も治まり、色んな物が身体からはずされていき、ある程度身体も動かせるようになり、3週間後位にようやく一般病室に移る事ができました。実はこの辺の記録を寝ながらメモしていたのですが、退院のドサクサにどこかへ紛失してしまったのです。それでも憶えているのは、思考力というか頭の働きというか、何かそうゆうものが、段階的に急にパッパッと変化したということです。

 初めのうとうと状態からある瞬間に突然、頭が動くようになって、テレビでも見ようか、本を読もうかと思うようになりました。このとき身体に何かズシンとしたものが走ったような気がしたのです。これが大変不思議でした。これですっかり頭は正常になったのかと思っていたら、1週間か10日後にもう一度何か急な変化があって、積極的にいろんなことが考えられるようになりました。ところがそうなるといろんな考えが頭の中を駆け巡ってなかなか寝られません。これから本当の退屈が始まるわけですが、その頃から今度はリハビリとして歩くことに慣らすために病院の廊下を少しづつ行き来することになり、余り退屈を経験しないですみました。

 家に帰って持っている古い内科書を読んでみると、下行性大動脈解離は高血圧をもつ老人に多く手術は危険で、内科的に血圧を下げて安静にするのが一番と書いてありました。でも血圧を下げているせいで、この文章も今までのように理路整然とした話は書けそうにありません。矢張り私の頭は未だまともではないようです。そこでもう健康談義などと偉そうな事は諦めて、独り言のつぶやきを書き留めてみようと言うわけです。


 これを書いてから一ヶ月余りが経ちました。その間に気が付いたことは耳が遠くなったことです。病後をゆっくり音楽でも聞いてと思っていましたが、折角のCDが雑音にしか聞こえません。止むを得ずもっぱら一般的な本を読むこと、従って本屋あさりを唯一の楽しみにしています。「耳が遠くなった」と言いますと、人はすぐに「耳の遠い人は長生きだと言いますね」と慰めてくれます。そこで私の返事は、「今度の病気で分ったことは、年をとって耳が遠いということは、血圧が低いせいで、高血圧のリスクがないだけ長生きということでしょう」と理屈を言って自らを慰めています。やはり何かひとこと理屈を言わないと気がすまない、のだけは残っているようです。

 

 
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