2005.3.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  22. 耳学問の大切さ
 


 むかし知人でなかなか博学の方が居られて、私が「先生は随分といろんなことを知っておられますね」と言ったら、「いやみんな耳学問ですよ。学会で面白そうな話を仕込んでくるのですよ」と言われました。専門的なことは学会に出なくとも、少し遅れますが学会雑誌で論文を注意して読んでいれば何とかなります。しかし専門外のことでの話題には耳学問が大切だと思うのですが、歳をとって耳が遠くなるとそれが出来なくなるのです。ことに5、6人でがやがや、ざわざわとやりだすともう耳がついていけません。

 私達は昨年の秋から、毎月一回「いのちの科学」という文科、理科の壁を取り払った講演と討論の会を始ました。いつもその後に夕食懇談の機会を持っています。しかし、私は初めから諦めてその会合には欠席しています。そこでは多分面白い話がはずんでいるだろう想像はしているのですが、だれもこんな話が弾んだと言ったことを教えてくれません。この会に今度から加わった、長崎大学から京都大学に転勤してきた渡邉正己教授に、初めての印象と共に、夕食会の模様を訊ねてみました。以下が彼のメイルのその部分です。

 「いのちの科学」は、久しぶりに幅広い話題で楽しませてもらいました。会食ではイタリア料理を楽しみました。話題は、江戸文化から猿の話まで多岐に亙りました。最近は、科学者であっても、自分の活動をお金の価値で計るようになってしまって、科学する楽しさを忘れているようで寂しく思っている所でしたので、一見役にも立たないような幅広い話をできることの重要性を感じました。
 「経済的価値を求めて研究する」のではなく「研究したらそれから経済的価値が生じた」というのは、結果は同じでも全く異なるものと思います。しかし、最近の我が国の科学技術振興策が余りにも前者に傾いているのではないかという話もでましたが、私も同感です。

 私もこんな話に加わって大いに議論したいところです。それが出来ないのは残念ですが、せめて若い人たちのためにそのような場をつくることが出来れば良いではないかと自分に言い聞かせているところです。皆さんは耳学問を軽視しないで大いに学んでください。ことに私たちが主張している文理融合を目指すには、お互いの学問をぶつけ合う場が必要で、それには耳を通すことが大切になると思います。この大切さは、耳が閉ざされて初めて分かることなのです。私のつぶやき、実はぐちが、せめて何かの役に立てば幸いと思ってこのページを書き続けています。

 

 
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