2004.11.1
 
Editorial (環境と健康Vol.17 No. 5より)
文理融合科学のすすめ

菅原 努

 

 話は 1987 年に遡ります。その頃私は公務員から引退して河原町丸太町のビルの一室を借りて菅原研究室を開いていました。その活動を広く知ってもらおうと「河原町通信」というニュースレターを随時発行していました。その 1987 年 7 月 10 日号(No.22)に“The Emeritus Club”というのを書きました。その構想が翌 1988 年 11 月に百万遍にパスツールビルが完成することで実現することになったのです。その設立の趣旨には次のように書かれています:

 我が国の平均寿命は年毎に伸び、今では世界最長寿命国の一つに入っている。大学教授や研究者についても他の職場と同様で、定年退職後もなお健康に恵まれ、研究意欲の旺盛な人が大部分である。第二の人生を私立大学などで教育にあたるのも一つであるが、折角の公職からの退職を契機として、新しい形でその健康と研究意欲を社会に役立てる組織を作ろうという趣旨で 1988 年 11 月 1 日に設立されたのがこのイメリタスクラブである。

 このクラブには出来るだけいろんな分野の方に仲間になって頂きたいと思い、そのように働きかけてきましたが、結局メンバーは理、工、農、医と理科系ばかりになりました。文科系の方はどうもこんな雑居ビルのようなところは好まれないのかな、というのが私の感想です。ところで、クラブが 1998 年に創立 10 周年を迎えた機会に有志の会員で、このクラブの意義と問題点などを話し合う座談会を持ちました(「環境と健康」11 巻 5 号 座談会:知恵のリサイクルを目指して)。ここで出された話題のなかで、次のような点が問題と考え、これへの新たな対応として関係財団の援助を得て新しいプロジェクトを 1999 年 1 月から始めました。

姥捨て山にならないように、常に若い人との接触をはかる。
診断はつくけれども治療法がないという病気になった。西洋医学に見放された。西洋医学は分析に力を入れ過ぎではないか。
研究室にこもっていた生活から、どうしたらその知識を社会に役立つように出来るか。既にその例として太陽紫外線防御研究委員会があるではないか。

 こうして通称健康指標プロジェクトが会員の山岸秀夫京大名誉教授を主査として始まりました。正式の名称は「要素非還元主義に基づく健康効果指標の研究」です。その趣旨は「環境と健康」の 12 巻 1 号(1999 年 2 月号)に私が Editorial に“21 世紀を目指して新しいプロジェクトをー還元主義を超えてー”と題して書いています。その要旨は次のようなことです。

20 世紀後半の分子生物学の進歩、それを背景とする医学の発展は、要素還元主義に基づくものであった。
医学の世界では、臓器を見て全身を見ない、病気を見て患者を診ない、などの疑問が出されている。
これを乗り越えるすべを見つけたい。その試みとして「分子からこころまで」のプロジェクトにした。

 しかしながらプロジェクト発足 5 年を経て、50 回の講演会を持ち 100 名以上の先端の研究者の話を聞き、討論をしましたがなお残念ながら要素還元主義を超えてという意味では、十分な成果を得たとは言えないように思います。実は私自身も同じような問題をがん治療研究を通じて経験しているのです。それを纏めると次のようになります。

1975 年に始めた「貧乏人のサイクロトロン計画」はまさに粒子線作用を要素還元的に物理・化学的なもので置き換えようとするものであった。
化学的な方法は副作用に悩まされて未だに成功していないが、物理的方法として生理的に耐えられる範囲の加温を用いる温熱療法のみが実用化された。
それには予期した要素(選択的殺細胞効果)以外に広範な働きがあることが期待されるようになってきた。さらに一部ではさまよえるがん患者のこころの支えにもなっている。

 そこで、昨年の夏から 新しいプロジェクトを目指しての模索を始めました。その一つの試みとして昨年 7 月に近江舞子放談会「21 世紀の生命科学と社会」というのを行い、京大人文研の小南一郎教授、弁護士の折田泰宏氏、電通で各種イベントを企画されている和泉 豊氏のお話を伺い、京大三才学林の横山俊男教授の司会で綜合討論を持ちました。その後、私も老骨に鞭打って読書に務め、視野を広める努力をしました。その結論は文理融合しかないということになりました。それをまとめましょう。

文科と理科という区別は明治政府の西洋に追いつけ政策の一つの大きな柱であった。しかし、今やこれが大きな障害になっている。この区別を取り払うことが出発点である。
自然科学として“いのちの科学”を広く理解できるようにするためにも、誰にでも分る言葉で論じ話すことが必要である。
そこで、知のフロンテイアとして新しく「いのちの科学」を、文理の壁を取り払って、一緒になって始めよう。

 9 月からその活動が始まりました。主査は本年 4 月から新たにイメリタスクラブの会員になった内海博司京大名誉教授(財団法人 体質研究会 主任研究員)です。その内容は順次本誌に報告していく予定ですので、ご期待ください。