2003.7.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  2.不老不死のなぞ
 


 前に不老長寿について書いたことがあります。そのときにインターネットで調べると、不老長寿より不老不死のほうに遥かに多くの関心が寄せられているのに驚きました。これについて最近読んだある本のなかに一つの解答が見つかりました。それは東洋と西洋のちがいです。西洋では聖書からはじまります。その本から問題のエッセンスを抜書きしてみます。

 旧約聖書では族長たちが後世の人間よりもはるかに長生きしていた時期のことが語られている。当然、彼らの長寿が単なる隠喩なのか文字通りなのかをめぐって、大変な議論が続いている。アダムは930歳まで生きたことになっており、三男セトが生まれたときは130歳だった。メトシェラは969歳まで生きて、族長の中で最長寿を誇るのに対し、950歳まで生きたとされるノアは、極端な長寿ぶりを発揮した最後の族長である。大洪水の直前、神はこう言った。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきでない。人は肉にすぎないのだから。」こうして人の一生は、120年となった。(創世記6章3節)

(日本でも神武天皇から始まり古代の天皇は大変長生きであった計算になるが、それを誰も信じてはいないでしょう。)

 新約聖書では顕著な変化が起こる。信仰が正しくても、もはやその報いとして長寿は提供されなくなるのだ。その代わり、肉体に関わる事柄に対する無関心とでも言うべきものが出てくる。旧約ではアダムの原罪は人類に死をもたらす判決となったのだが、新約では神が自らの御子を生贄にした結果、全ての人間が不死に近づく資格をえたことになっている。「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば・・・・(中略)・・・・一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。・・・・(中略)・・・・わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の生命に導くのです。(ローマの信徒への手紙5章17−21節)

 東洋では不老不死の仙薬を求めたのは秦の始皇帝が代表ですが、この本によると西洋には、それに三つのタイプがあるようです。

「大昔はよかった派――大洪水以前伝説」
聖書を文字通り解釈する者たちは、歴史上、人類が不死の存在だった時期があって、それをアダムとイブがエデンの園に時期だったと主張する。さらに不死でなくとも、極めて長命だった時期があり、それはアダムからノアまでの間だったというのである。(中略)ヘシオドスは老齢や死、寿命の短縮などを、時代を追うごとにますます退廃的になっている生き方の産物と説明した。この気の滅入るなりゆきにかかわらず、ヘシオドスはこれから訪れる時代はもっとよくなるだろうと楽観していた。

「どこかにあるユートピア派――北方浄土伝説」
ギリシャ神話によれば、人類が病気や老化もなく長寿を楽しんでいた場所が存在した。この人々はヒュペオボレオス(北方浄土)の住人と呼ばれている。ヒュペルとは「彼方」、ポレオスとは「北風」で、彼等は遠く北半球のある場所に住んでいると思われていたからである。このヒュペルポレオス型の楽園についての神話を持つ文化や時代は多い。

「若返りの秘薬派――青春の泉伝説」
長寿についての神話や伝説にもっとも共通しているのは、食べ物、水、その他、病気や老化や死に対抗できる特別な威力を備えた、物質に関する神話や伝説である。(東洋では秦の始皇帝ということになるのであろうが)西洋で一番有名なのが、ポンス・ド・レオンである。コロンブスの二度目のアメリカ行きに同行したこのスペインの探検家は、今日、プエルトリコと呼ばれている西インド諸島の島に。1508年、植民地を築いた。土地のインデイオがスペインの探検家たちにビミニという島の話をしたが、そこにある泉で水浴びしたり、その水を飲んだりすれば、誰でもが若さを回復できると信じられていたのである。ビミニを探して、1513年、ポンス・ド・レオンは偶然、今日フロリダ及びバハマ諸島と呼ばれる陸地を発見した。言い伝えによれば、この55歳になる探検家は、若い妻を満足させてやれないので、「青春の泉」を探していたそうである。有難くないスペイン人探検家御一行を厄介払いすべく、インデイオたちがでっちあげた策略に、彼がまんまとはまってしまった可能性はある。しかし、ヨーロッパ人はポンス・ド・レオンの探検を真に受けた。特に。ある高官がその泉の実在を証言、召使の父親が泉の水で蘇ったと言うに及んで本気になった。

 ここからは私なりの勝手な解釈です。西洋では旧約聖書が、人は元来不老不死か大変長寿であった。それをアダムとイブが罪を犯したばっかりに、死の運命になった。それを新約聖書で、キリストは肉体ははかないものである、それを早く捨てて、神による永遠の魂の救済を得よ、ということになったのでしょう。中国では不死なのは仙人で、帝王達はそれの秘薬を求めて不死を得ようとしたのでしょう。孔子は、祖先を敬い血筋のつながりのなかに、途切れない命の糸を認めたのでしょうか、祖先崇拝を重視しました。これは今ではDNAで置換えられるかも知れません。私も元気な孫の顔を見ながらそんなことを考えていました。

 


S・ジェイ・オルシャンスキー、ブルース・A・カーンズ著 越智道雄訳「長生きするヒトはどこが違うか? 不老と遺伝子のサイエンス」(春秋社2002年12月)

 

 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■