2004.7.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  14. 老いのぼやき
 


 すこやか長寿ということで、高齢者の話はこんなに元気にやっているという話が殆どですが、実際にはやっぱり年を取っているために旨く出来ずにがっかりしたとか、自分のことだけでなく家族との関係でつらいこともあると思うのです。今日はその打ち明け話をすることにします。

 6月14日から18日まで淡路島の北部にある夢舞台国際会議場というところで、我が財団(慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団)の門田基金国際フォーラムという国内外100名位の会議を主催しました。この内容は別にお話することにします。勿論私自身はとてもこんな会議の差配はできませんので、事務局長を長崎大学の渡邉正己教授にお願いして準備、設営その他全部していただきました。また会議全体の進め方、纏め方などは欧、米、日本と3人の専門家にお願いしておまかせしました。でも少しは何か出来ればと、モーツァルトのDVDを持って行って、これを最後の総合討論の前の30分の休憩時間に写すようにお願いしたのです。実は、休憩が始まったときに画面と音楽が出て、それに合わせて私が「今モーツァルトの名曲が流れていますが、乳牛もこれを聴くとよい乳を沢山出すとのことです。皆さんも次の討論で大いによい意見を出してください」という心算だったのです。担当に聞きますと「先生音楽はちゃんと流れていますよ」と言うではありませんか。そう言われてみると、ざわざわした部屋にかすかにそれらしいものが聞こえます。「これでは駄目だ。絵は出ませんか」と言ったのですが、とうとう駄目でした。そこで私のジョークもお流れになってしまいました。

 耳が遠くなって以来の私には、音だけのCDによる音楽は殆ど雑音になってしまうのです。そこで同時に演奏家の姿の映るDVDを試みました。動く演奏家の姿とそれから出る音楽とを同時に聴くと、とぎれとぎれですがどうやら音楽らしく聴こえます。これを何度も繰り返しているうちに、何となく昔聴いたメロデイーを思い出しながら楽しむことができるようになってきたのです。そのためにわざわざ高いDVDを買っているのです。でも耳のよく聞こえる若い人にはその区別は分からないようです。「何故ここで画面が必要なの」といぶかる担当者の顔を見て、つくづくと老いの悲哀を感じたのでした。
 
 こうして約1週間の国際会議を済まして、久しぶりの我が家に帰ったのは金曜日の夕方でした。やれやれと椅子に座って新聞を読んでいる間にいつの間にか寝入ってしまいました。「ビー」というブザーの音で目が覚めたときには、時計はもう8時をさしていました。この音は家内が連絡にインターフォンを鳴らしたのでした。さー、食事ができたかと、喜んで食堂へ入って、はっと気が付いたのです。家内は台所で何かやっていますが食卓の上には未だ何もありません。そこで思い出したのです。そうだ、我が家ではこの間から夕食は私が手伝わないと出来ないのだった。しばらくホテル住まいをしている間にこのことをすっかり忘れてしまって、前のようにブザーでよばれるとすっかり食事の用意が出来ていると思い込んでしまっていたのです。家内の老いが始まってから、食事の手伝いも私の仕事になってきました。昔のように私は外の自分の仕事、家内は家事全般の仕事と、きれいに分担して済ますことができなくなりました。私としては、ペースを落としながらも外の仕事をしているものですから、これがいささか負担になります。それはそれなりにようやく慣れてきていたのですが、久しぶりのホテル住まいで急に落差に気が付いたという次第です。

 お互いに、年は取りたくないな、としみじみと感じたのです。

 

 
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