2004.5.1
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菅 原 努
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12. 理想の医療とは | ||||
勿論病気を治してもらうつもりで入院した病院で医師のミスで死亡したなどと言うことになってはやりきれません。しかし医療事故をめぐる議論を聞いていて感じたことは、単なる技術とか医局制度など、そこで論じられたこと以前に根本的な問題があるのではないかと言うことです。問題は科学技術中心の今の医学・医療のあり方にあるのではないでしょうか。患者自身もその技術に頼り、自分の身体の悪いところを機械の部品のように修理してもらおうとしてはいないでしょうか。そして医者も機械修理工のようになってしまっています。またそれが出来ないと名医とは言われないのです。 私も今から50年以上前の若いときには内科医でした。当時外科は見る、切れば分かる、と言うのに対して、内科は考える、患者とともに悩み考え治すすべを手探りで探っていくもの、と思っていました。X線はありましたが視診、触診などは極めて大切でした。私は手先が不器用で注射なども上手ではありませんでしたが、沢山の患者さんから私の診療を喜んで頂きました。その喜びを共に味わえないのが臨床を離れて基礎医学を専攻するようになったときの何よりの寂しさでした。 その後基礎医学者として放射線の生物作用の研究に従事してきましたが、最後にはもう一度患者さんへの思いに返ってがん治療の研究に力を注ぎました。そのなかで基礎から臨床それも保険医療にまで発展させることが出来た唯一のものがハイパーサーミア(がんの温熱療法)です。これは身体に熱を加えるのだから物理的な技術と考えられがちですが、実はそうではなく極めて全人的な新しい治療法であることに気づいたのです。私はもう一度50年前の内科医の気持ちに戻りました。勿論今の新しい診断の技術も薬も分かりません。でも方法としては物理的な加温ですが、患者さんの心まで温めうる新しい治療となりうることが分かったということです。 ここで初めの話題に戻りたいと思います。医療過誤というのを単なる技術上の問題と捉えているところに、患者として、またあるべき医療としてこれでよいのか、と疑問を感じませんか。今の病院の医学は、不特定多数の患者に対応するために発達してきた病気の医学です。そこには病気があって患者個人は不在です。これを言い出した中川米造*さん(医学概論専攻の阪大教授、1925-97)はもう居ませんが、彼が居たら今の状況をなんと言うでしょうか。もう一度個人の医学に戻るにはどうすればよいのでしょうか。DNAチップなどを基にTailored Medicine(個人注文の医学)などと言っていますが、技術だけで個人の医学になると思ったら大変なことになるのではないでしょうか。これこそがテレビの討論に出なかった大切な話題ではないかと思うのですが。私自身も今一生懸命にこの問題を考えているところです。中川米造さんもう一度帰ってきて我々を助けてください。
註:* 中川米造:医学をみる眼 日本放送出版 1970
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