2004.4.1
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菅 原 努
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11. 岡沢好子さんからの手紙 | ||||
一対一、多対多 先生の本「八十路からの健康談義(私書版平成15年6月刊)」の章の題に一つに(12章)このようなのがありました。(これはこのホームページの「過去の読みもの」にあります。)私は何時もこれで悩んでいたところです。 腰痛(脚、腰が痛いと言って)整形外科へ行くと、「MRIを何月、何日、何時、骨密度を何月、何日、何時に測定しますから来て下さい」。神経ブロックの注射をすると「血圧が心配だから内科へ行って下さい」。そしてそこで「心臓も診ておきましょう」。 心電図、エコー、血液検査等色々な検査を指示されます。それが一日で済まないで何度も病院に足を運ぶ事になります。体調が悪いので病院へ行ったのに検査が終わった頃にはもうクタクタに疲れてしまい、益々体調が悪くなってしまいます。これで医者から「相当悪いですねぇ」と言われたら、精神的にショックで更に悪くなってしまいます。 最近の医者は平気でこのように言います。 診療科目の細分化、機会の細分化、時間の細分化、勿論一人の医者が頭から脚の先まで全て詳しく知る事は不可能と思いますし、今日ほど医学が進歩してあらゆる所が外科手術で治せるようになった時代、専門医が必要な事は当然でしょう。しかし専門医になるとその部所一箇所しか診ない、他の事を聞くと「それは私の科ではない」と怒られます。 東洋医学、漢方では人間の体は一つであって全てがつながっているとの見方をしています。最近はこれを「統合医療」と言うそうです。先日テレビでこの放送をしていたのでかじりつきました。先生が言っておられる、多対多です。体の調子が悪くなってから自分の仕事の量を減らすようになると自然にテレビを見る時間が増えて来ます。先日も医者の選び方で、医者の看板に「内科」一つ「外科」一つと書いてある方を選ぶか、医者の名前は一人で「内科、外科、小児科」と色々な科を書いてある方を選ぶか、をやっていました。勿論結論は出ませんでしたが、思っている事は皆様一緒。
次の問題は私も感じていますが、未だはっきりとは取り上げていません。ただ、私たち夫婦もそれぞれに病気を持ち、これからのことを思い悩むことも多いのが現実です。問題提起は真剣に受け止めます。 夫婦一緒に老いることが出来て 先生は『もし一人になったら』と考えられた事がありますか。 こんな不吉な質問をしたら怒られるかも知れませんが、人間必ず死を迎えます。それも年の順番とは行きません。私も夫を十三年前に亡くして一人で生活しています。 日本ではいつの時代からか知りませんが、夫婦はほとんどが夫の方が妻より何歳か年上です。そして平均寿命は、男性の方が女性より短いので妻は夫を見送ってからのパターンが多いようです。昔は大家族で生活をしていましたので女性が残っても子供、孫、親族に囲まれて一生を終える事が出来ていました。しかし最近は核家族になり、たいていの家が老夫婦二人の生活です。私のような歳になると友達と楽しく話していても最近はいつも「もっと歳をとって動けなくなったらどうする」と落ちてしまいます。 子供が居ましても現在の社会情勢では、会社の転勤で遠くに住んでいたり、近くに居ても今の若い人とは考え方が違う、生活状態が違うといってお互いに気を使うよりと別居しているケースが多いのです。長寿、長寿といいますが私にとってはこの歳まで生きると長命より長患いせずに安楽死できることが最大の願望です。 私がこんな事を言うと、多くの人は、「岡澤さんは早く主人を亡くしても自分の仕事を(趣味)極めていつも気楽そうに、楽しそうに、力強く生きていてうらやましく見えるのに‥」とびっくりしたようです。勿論普段は少しでも明るく希望を持って健康に気をつけて前向きに生活しょうと心がけていますが、根底はどんな本を読んでも、どんな話を聞いても解決出来ず不安が一杯です。 岡澤 好子
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