1999.10.7, 2001.2.13 revised

 
 

オーストリア保養地・・・ 美しい、バドガスタイン
−ラドン温熱療法−

 1992年10月、映像制作グループに同行して、放射能源として有名なバドガスタインを訪ねた。ウィーンからザルツブルグまで国内航空で1時間、夜遅くホテルに入り、翌朝ザルツブルグ大学に、バドガスタインの“生き字引”ともいえるポールルーリング先生を訪ねた。学内の見学を手早く済ませ、待たせておいたマイクロバスに先生を乗せ、一路南に向かう。オーストリアの女性と結婚したのでオーストラリアからやってきたという陽気な運転手が、秋たけなわのすばらしい景色の中を猛スピードで走らせること2時間、3,000メートルちかいアルプスの峰々に囲まれたバドガスタインの谷の入口、ドルフガスタインに到着する。ここから農家の点在する牧場の中をガスタイン川沿いにすすむと、新興の保養地バドホフガスタイン、その少し上が古い温泉街バドガスタイン、さらにその上、ヴィルデンカルク山の山腹に、トンネル内の温熱を利用したサウナ式の施設がある。

 谷の中心バドガスタインは中世に始まる由緒ある湯治場で、たくさんのホテルが山肌に貼りつくように立ちならび、樹木に覆われた渓谷のまん中をアルプスの水を集めたガスタイン川が、大きな滝や淀みをつくって勢いよく流れている。目をあげれば、14世紀にさかのぼる古い教会の尖塔ごしに間近く迫る山なみには、氷河が白く輝いている。

 ここにはオーストリアやドイツの皇帝、シューベルト、ビスマルク、フルシチョフなど、歴史的有名人が数多く訪れている。自他ともに許すラドン温泉発祥の地であるが、最近は夏山散策やスキーなどの好適地として、若手をねらった宣伝にもちからを入れている。「景観の似ている妙高高原と姉妹提携し、いろいろ交流してます」と観光局長から、日本語の名刺を差し出されたのには驚いた。どうも三朝温泉は、お呼びでないらしい。

 バドガスタイン川の深い崖の中ほどに、19の泉源からの温泉水を集めて送り出すポンプ場があった。厳重な鉄の扉をくぐり泉源への細いトンネルを進むと、そこは湯気が立ちこめて蒸しあつく、ほの暗い電灯の下をあちこちの湧き出し口から、温泉水がちょろちょろと絶え間なく流れ出しているのがみえる。日量500万リットル、これこそが500年にわたってこの街を支えてきた“宝の湯”であった。ポンプ場の門扉のそとに、小便小僧のような温泉の飲水台があり、そこの掲示には、無味・無臭・無色・透明、泉温;42.9℃、pH;7.6、ラジウム;5.9×10-12キュリー/リットル、ラドン17.9×10-9キュリー/リットルなどと書かれていた。

 広い敷地をもつ近代的なクア・ハウスには、屋内と屋外に大きな温水プールがあり、技師の指導で音楽に合わせた集団体操が、時間をかけて楽しそうに行われていた。屋内の小型浴槽では、重度の患者へのクレーンによる入浴サービスもあり、マンツーマンのきめ細かい治療が施されていた。

 一方、昔からのホテルにも近代的な温泉療法の施設が設けられ、専門の医師や技師が治療にあたっていた。温泉の利用は入浴のほか、飲用、口腔洗浄、吸入、泥パックなど、多種にわたっており、効用としては、リューマチ、神経痛をはじめ、血行障害、精力減退などの改善のほか、ストレス防止や体力増進など健康管理に最適と、結構ずくめであった。

 バドガスタインの中心部から8キロ南に登ったベックシュタインに、トンネル内で温熱療法を行っているユニークな施設を訪問した。ここは第2次大戦中ドイツがソ連の捕虜を使って金を探鉱していたところで、金鉱石は発見されないまま戦争は終わった。このとき冬には坑外が-20℃、坑内は+40℃と温度差が60℃もあるのに、捕虜の風邪やリュウマチが治っていくことが観察され、それがヒントになってここを医療に利用する計画が持ち上がったという。そこでポールルーリング先生らは、廃止された坑道が高温多湿の上、ラドンの濃度がたいへん高いことに注目して、その調査・研究をすすめた。そして1952年、ここの温熱(高温・高湿)と10万ベクレル/リットルにおよぶ高い空中ラドン濃度を利用して、リュウマチや神経痛などの治療が開始され、今では毎日500人以上がここで治療を受け、その75%に効果が認められているという。

 診察室や宿泊室などを完備した建物の横にトンネルの入口があり、ここからトロッコ列車で入っていく。海パンにサンダル、帽子をかぶって2人座席が向い合わせの車両に乗りこみ、機関車に引っ張られて2キロ直進したところが最初の治療室で、気温37.3℃、湿度84%。ここで医師の指導のもとで1時間横になるのが一般向けの治療であるが、まさに蒸し風呂、たちまち呼吸が早くなり全身汗まみれとなった。ここから線路は右に折れ約1キロ、ループになって戻ってくるが、その間にもさらに高温の治療所が3箇所あり、最高40.5℃、湿度95%とのことであった。それぞれの症状にあわせて滞留時間が定められるようであるが、息苦しさは相当なもので、機関士を含め、働く人もたいへんである。

 そろそろ古稀とおもわれるポールルーリング先生も一緒に入坑されたが、戦後の学術調査に従事された先生は、ここで苦労をともにしたポール先生と恋に落ち、ベックシュタインの教会で結ばれて今日に至っておられるのであった。われわれは少し足のご不自由な先生を帰路ザルツブルグのお宅までお送りしたが、仲睦まじいご夫婦のご長寿を心から祈りたい。

 この治療を受ける人びとの大部分は、保険組合の加入者ということであった。年金の受給資格は男が65歳、女60歳であるが、傷病が治癒困難と認められると支給が繰り上げられる。そこで組合員が傷病による繰り上げ申請をすると、ウィーンの本部で審査され、必要があれば国内6ヶ所の温泉を含む療養施設のいずれかで、回復のための加療が指示される。その結果によって、年金支給の適否が決定される仕組みになっているという。保険組合には隣国ドイツの人も加入でき、患者の2/3を占めているとのことであった。バドガスタインでの患者の滞在は1回2〜3週間で、その費用はもちろん無料であるが、日本人がこの治療を受けるとすると、費用は30万円程度になるとのことで、うらやましいお話である。

 ここでの滞在は、はるかに氷河が望める小さな谷間のホテルで、切れ込んで流れる小川のほとり、こげ茶色の屋根に白い壁、窓辺には赤い花が並べられ、庭はそのまま山麓の牧場に連なり、やわらかい日射しをうけて牛がそこここに群れていて、絵のような見飽きぬ風景であった。日曜日に、いちばん近いストゥブネルコーゲル山(2,246メートル)に、ゴンドラで登った。途中から雲に包まれ、ガスの渦巻く山頂で、晴れ間を待って烈風の中を震えながらがんばったが、雲海の写真しか撮れなかった。しかし今日で閉めるというレストランの、親子2代のコックさんがつくった料理は秀逸で、サンザシの実からつくられた豊潤なスピリッツをいただき、すっかりご機嫌になってしまった。冷たく吹き付けるガスの中を下山して振り仰ぐと、山の上1/3ほどに雲がかかっているだけで街は風もなく穏やかな日射しに包まれていて、アルプスの気候の激しさの一端を教えられた一日となった。

 バドガスタインの街のあらゆるところ、そして広くはオーストリア全体から感じられる、その文物や風土を最大限に活用して観光客を誘致しようとするつよい意欲に、内陸で熟年に達した小国の生きざまの、したたかな一面をみるおもいであった。

「温泉は世界どこでも人気者!」へ戻る *
「やさしい放射線の話」目次へ戻る *
* 百万遍ネットINDEXへ戻る *