2011.12.1
 
Editorial (環境と健康Vol.24 No. 4より)


激動の時代に生きる


山岸 秀夫*

 

 

 本誌編集部のあるパストゥールビルは、百万遍知恩寺の隣にある。知恩寺は浄土宗七大本山の一つで、その総本山は連日観光客で賑わう知恩院である。しかし知恩寺でも毎月 15 日の百万遍念仏数珠繰りの日には、境内が「手作り市」に開放され、大賑わいである。浄土宗の開祖は法然上人(1133−1212)であり、来年 2012 年が丁度上人没後 800 年にあたるので、「上人 800 回大遠忌法要」が今年から始まり、知恩寺も大賑わいである。法然の弟子である親鸞(1173−1262)が開祖となった浄土真宗の本山である、東西両本願寺も京都にあり、来年が親鸞上人の 750 回忌に当たるので、大法要が営まれ、全国の信者が京都に集まる。

 翻って、両上人が布教を始めた13 世紀に遡ると、政治が堕落し、その権力が京都の公家から鎌倉の武家へと交代し、日本の文化史が大転換を始めた激動の時代であった。わが国初の国難としての蒙古軍の襲来があり、庶民の生活は困窮を極めていた。仏教にもシャカの死後千年の末法思想が拡がり、新しく思想界のリーダーとなったのがいわゆる鎌倉仏教であった。平安の天台、真言の難解な密教から派生した、浄土宗、浄土真宗、法華宗(開祖、日蓮)、時宗(開祖、一遍)などと、中国から渡来した禅宗の臨済(開祖、栄西)、曹洞(開祖、道元)である。前者は、現世の苦しみから逃れ、来世の浄土での幸せを念ずる専修念仏の他力本願で、その平易な教義が一般庶民に受け入れられて爆発的に普及したのに対し、後者は自力に集中して悟りを開く心身一如の修行で、武家階級に受け入れられた。いずれも現在まで伝えられ、明治維新の廃仏毀釈にも耐えて、京都市内にはまだ 1,800 近くの寺院が活動している。

 本号 Books で紹介されている『中西 進:こころの日本文化史』によれば、日本の文化史がほぼ 700 年の周期に分けて概観され、古代、中世、現代に区分されている。古代は飛鳥時代から平安時代まで、中世は鎌倉時代から江戸時代で終わり、現代は未完で、19 世紀末の明治維新に発し、26 世紀までまだ少なくとも 500 年続く。各周期の文化は前半、数世紀の移行・生成の動乱期とその後の達成期に分けられる。この斬新な文化史の時代区分は、従来の日本史の時代区分とは異なり、単純明快である。「知情意」は円満な人格の形成に必須の知性・感情・意思を指すが、これを文化史の時代区分に当てはめている。すなわち、古代文化は自然の姿を心に映す芸術中心の「情の文化」で、大自然の秩序に従い、中世文化は武訓と商知の「知の文化」で、自然に備わった倫理を学び、現代は自然を所有し、改変しようとする「意の文化」としている。しかし日本人の「こころ」の深層には、「モノ」の霊力、超自然的な力を信ずる縄文的情念が存在することを認めている。

 筆者の住む城陽市東部丘陵には、古代の古墳などの埋蔵文化財が多く、その保全に先立ち、地域の歴史を知ろうとして 30 数年前に、「緑と教育と文化財を守る会」が結成された。今年も 11 月に「大塩平八郎の乱とおかげ踊りの背景−幕末の寺田村」と題したパネルを市民文化祭に展示した。そこには幕末の長期に及ぶ飢饉のため、町での「打ちこわし」や農村での「百姓一揆」、世直しを訴える民衆運動としての「おかげ踊り」(ええじゃないか)が紹介され、村役人の制止を振り切って村中の人々が更に次の村にその興奮を伝えに躍り出た様子が描かれた。民衆のエネルギーが津波のように村々に広がり、幕末の到来を予感させるものであった。歴史の時代の各節目にはきっとこのような一般民衆の湧き上がるエネルギーの爆発があったに違いない。
 明治維新の東京遷都により空洞化した京都市で、1895 年(明治 28 年)に平安遷都1100 年を記念して平安神宮が創建され、その記念行事として以後毎年 10 月 22 日に時代祭が行われ、各時代の風俗を再現した行列が行進する。明治維新を告げる鼓笛隊から始まり、時代をさかのぼって延暦時代の神官行列で終わる。しかしこの支配階級の風俗を支えた民衆の姿はあまり浮かんでこない。平安京に都が落ち着くまでの数百年間には数々の政争や天災があり、江戸 300 年の太平の世の前にも数百年の戦乱の世があった。幕末から明治維新にかけての激動する民衆の力も富国強兵の中央集権国家の力で抑え込まれた。1945 年に西欧列強との覇権争いに敗れて、初めて主権在民と戦争放棄の平和憲法のもとに民主的議会政治が始まった。その結果、無一物の焼け跡から経済大国が生まれ、医療分野では国民皆医療保険が定着し、教育面では国民皆教育が普及し、電子情報網が完備した。それにもかかわらず、皮肉なことにその陰で、貧富格差の増大、医療崩壊、学級崩壊、人間の絆の崩壊(核家族化)が進行している。

 ここで昨年の夏に筆者の見た不思議な夢の体験メモを記す。〈山里の丘の麓にみすぼらしい一軒の山小屋を見つけた。のどが渇いていたので立ち寄ったが、人の気配はなく、全く何も無かった。しかしよく見ると、部屋の隅に一人の老人が座っていた。黙って何も語らないが、こちらから尋ねると必ず答えてくれた。よく見ると、その後ろには外からは想像もできないほどの無数の扉があって、どこでも好きなところに入って良いと言う。指された扉を開けると、そこには無限の空間が開かれていた。そびえる連山の前に広がる美しい花園があって、昏々と湧き出る泉があった。早速のどを潤して、元の扉から出ると、全く何もない老人一人の世界であった。老人にお礼を述べて帰ろうとすると、何か忘れ物があったように思うがなかなか思いつかない。やっと気づいて老人に尋ねると、別の扉を示してくれた。その扉を開けると、全く宇宙空間に遊泳するように、瞬く星に取り巻かれた世界であった。このようにして、次々に無数の扉を開けて回ったところで、夢から覚めた。〉まだまだ夢の続く限り、見残したこと、やり残したことがあったようである。今となって考えてみると、メモに残されたみすぼらしい山小屋は、それぞれ人間の「いのち」の小屋であり、その中で選択した扉は人生そのものを象徴しているように思える。生老病死は人間の宿命である。筆者が山小屋の夢を見たのは、生との出会い、生の誕生そのものであり、無数の扉の中の一つの世界がその後に展開する人生であり、夢から覚めた時が死そのものであろう。生と死には何の必然性もなく、突然に訪れるものであり、本人に自覚されるものではない。その意味では個々の人生はすべて多様な未完の物語であるとも言えよう。

 現在私どもが生きている 21 世紀は、まさに「意の文化」の始まりの激動の時代である。すでに私どもは「知の文化」から、20 世紀に原子力や遺伝子力をはじめとする多くの知恵を得てきた。21 世紀に入り、電子媒体による情報力という新しい知恵を積み上げた。しかし本号 Random Scope『五感以外の第 6 の感覚としての化学受容体のはたらき』で紹介しているように、人間の絆は、インターネットだけでは繋がらない、対面の「いのち」の感覚を必要としているのかもしれない。本号の『連歌形式サロン談義』第二主題二句で紹介されている、核社会の中での孤独な老母の「お前が泊まってくれると安心して熟睡できる」という言葉には、何か強い五感以外の「いのち」の感覚を覚えた。

 ファウスト博士の言葉を借りれば、「この世を最も奥の奥で動かしている力は何か、そのもとは何か?」というように、人間の知恵の探究力は無限で、知の科学は今後も無限に発展していくと思う。それでは、これらの知の探究力を生かして、数百年後の達成期に、どのような「意の文化」が実現しているのであろうか? メフィストテレスに魔法の力を果たして返納できるのだろうか? それには現在の激動期に生きている人間一人一人の意思が重要である。すなわち、知のネットワーク(インターネット文化)と情のネットワーク(「いのち」の感覚でつながる人間の絆)に支えられた「路傍の石」としての自覚である。山本有三作「路傍の石」の主人公は、〈たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか〉と言っている。中国唐時代の雲門禅師の言葉としての「日々是好日」は、〈一日は二度とない一日であり、かけがえのない一時であり、一日である。この一日を全身全霊で生きること〉であり、〈座して待つのでなく、主体的に日々好日を見出して生きる〉中に、「意の文化」の達成期に向けての一里塚の捨て石としての役目があるのではなかろうか。私どもは、激動の時代に生きる権利として、生きるための多様な自由意思の選択を得たのである。

 


* 公益財団法人体質研究会主任研究員、京都大学名誉教授(分子遺伝学、免疫学)