2008.12.4
 
Books (環境と健康Vol.21 No. 3より)

 

伏木信次、樫 則章、霜田 求 共編著

生命倫理と医療倫理−改訂 2 版


金芳堂 ¥2,500 +税
2008 年 3 月 5 日発行 ISBN978-4-7653-1335-3

 

 

 本書は 2004 年の初版発刊後、多くの大学で当該領域のテキストとしても採用されて、一定の評価を得たものであるが、今回最近の動向を反映させて改訂し、看護とケア、医療人類学、ジェンダーに関する 3 章を新に追加したものである。全 22 章はそれぞれ分担執筆であるが、編者が(1)医療における原理・原則、(2)出生をめぐる倫理問題、(3)終末期と死をめぐる倫理問題、(4)先端医療技術、(5)医療と社会の 5 部に編集している。第 1 部が総論で、第 2 部以下は各論と考えてよい。ここでは総論を中心に紹介する。

 最初に「生命倫理とは何か」を問い、古典として有名な「ヒポクラテスの誓い」の「私が自己の能力と判断とに従って医療を施すのは、患者の救済のためであり、損傷や不正のためにはこれを慎むでありましょう」との医療者側の主張を、現代的な見解に照らして再検討している。具体的には第2 部以下の各論で展開されている、生死に介入する医療技術や臓器移植、再生・遺伝子治療、疫学研究などを取り上げている。

 まず、T. L. ビーチャムらによる「生命医学倫理」(成文堂、1997)をとりあげ、(1)自律尊重、(2)無危害、(3)善行、(4)正義の 4 原則を手がかりに概観している。まず、患者の自律尊重は極めて重要であるが、各個人が多様な価値観を生命に対して持つにいたった現在、自己決定の自由を尊重するだけでは規範は成立しない。無危害についても、生体臓器移植は、提供者に対しては無危害の原則を破ることになるが、人助けという善行の面もある。しかし善行も個別的な面だけでなく、社会全体の福祉の面からも評価されねばならない。具体例として、腎臓の人工透析治療法は、1960 年代に日本に導入され、1970 年代に入って公費負担となり、必要とする患者の全てがこれを利用できるようになった。それで、透析費用も一人年間 1,000 万円から 500 万円台まで低下したが、毎年1 万人以上の増加を続け、現在透析患者数 25 万人、年間総費用は 1 兆円とのことである。透析治療に関しては、平等の正義は実現されているが、これを多様な治療法にどこまで貫けるかが今後の問題として残る。著者は、離れ業的な先端的治療によって少数の患者が救われる陰で、より多くの生命が基礎的な治療も受けられずに死んでいく事態を憂慮している。特に、自ら健康を保つための努力をしないで、病気になったら医療に頼ればよいと考える人が多くなったら、公費医療制度は崩壊する。この点では、地球環境条件の維持は医療技術の開発よりも根本的に重要であるとしている。

 また健康の定義に関しても、本号の Books「健康とは何か」で取り上げたように、まだ一義的で明確なものはない。著者は、「患者を診るということは、患者を理解することである。そのために、医師は患者に語らせ、患者の言葉に耳を傾かなければならない」と述べている。このことが、医療者と患者との出会いに必須であるとしている。また、医師よりも患者との接点の多い看護士のケアの重要性を取り上げ、「看護の目的は、病人の自然治癒力の取戻しであり、その主人公はあくまでも患者自身である」との F. ナイチンゲールの言葉で総論を結んでいる。

 

山岸秀夫(編集委員)