2006.9.28
 
サロン談義 (環境と健康Vol.19 No. 3より)


サロン談義1 元気で長生き

 問題提起:整形外科から見た高齢社会とQOL 山室隆夫

 コメント:循環器内科から見た医療の理念

篠山重威

 

 

コメント:循環器内科から見た医療の理念

篠山重威(循環器内科)

高齢化社会における生活の質

 20世紀に見られた医学の成果を象徴するものはヒトの寿命の延長であった。確かに20世紀の初頭、日本人の平均寿命は男女とも45歳前後であったが、2005年には男性が78.6歳、女性が85.6歳に延長した。一方、この年に生まれた新生児の寿命(健康寿命)は男児72.3歳、女児77.7歳と予測されている。従って、人生の晩年には男性は平均で約6年、女性は平均で約8年を病に苛まれて過ごしていることになる。即ち、加齢に伴う疾病は年々増加し、医療の面からも大きな問題となって来たのである。治療の進歩はリスクの高い患者が救命される確率を大きくしたが、その反面、機能障害を有する患者が生き延びて質の悪い生活を余儀なくされている。高齢者では身体機能は生物本来のメカニズムとして不可逆的に低下している場合が多く、肉体的な機能の改善を目的とした治療は不可能であり、医療そのものの概念を変換する必要がある。高齢者の医療は残存機能を出来るだけ活用した中で生活の質の向上に向けられることになる。

老後を健やかに、生活習慣病への取り組み

 現在、高齢者社会において老後にも生活の質を豊かに保って過ごせるようにしようとする多くの試みがある。新しい世紀を迎えるに至って、20世紀の最後の年に当時の厚生省は21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)という政策を策定した。特に、この運動で重要視されたのはそれまで政府が推進してきた疾病の早期発見だけではなく「一次予防」に重点を置いた対策を強力に推進することであった。2010年までの10年間を一区切りとして、栄養・食生活、身体活動・運動、休養・心の健康、たばこ、アルコール、歯の健康、糖尿病、循環器病、癌の9分野に対する数値目標が挙げられた。厚生労働省には健康局総務課の中に生活習慣病対策室が設置された。生活習慣病は以前は成人病という名称で呼ばれていたが、平成8年にこの呼称に改められた。昭和30年代になって、日本人の死因に脳卒中、癌、心臓病などが大きく係わってくるようになり、これらの疾患は加齢と共に進行してくるので、その早期発見を促進し増加を防ぐことが重要な課題となったのである。成人病という名称が用いられるようになったのもそのためであった。高血圧、高脂血症、糖尿病、肥満を「死の四重奏」と呼んで当時から成人病の対象として取り上げられて来た。平成11年国民栄養調査では60歳で高血圧と高脂血症が各60%、肥満と高血糖が各30%に見られている。これらによる合併症は増加の一途をたどり、厚生白書によると25年後には要介護者520万人、総医療費は103兆円に達すると予測されている。この政策によって高血圧や胃がんに対する検診は日本国中に広がったが、これらの根底には生活習慣に基づく危険因子が含まれていることにはあまり考慮が払われなかった。また、成人病という名称には、加齢に必然的に伴うもので、避けることの出来ない宿命的な疾患という印象が免れなかった。その後、行政もこのような検診だけに頼った成人病対策に限界があることに気づき、保険政策を急速に転換させて平成8年に当時の厚生大臣の諮問機関である公衆衛生審議会成人病難病対策部会が、「生活習慣病」という概念を提唱した。即ち、この言葉の中には国民一人一人が健康を保つために良き生活習慣を実践するという意識をもつ事が重要であるとの意味が含まれている。生活習慣を個人の努力で改善しこれらを予防する事を強調したものである。本年5月には平成16年11月に行なわれた国民栄養・健康調査の結果が公表された。それによると、腹囲、血中脂質、血圧、血糖値を基準にした定義に基づくメタボリックシンドロームが強く疑われる者は、40〜74歳男性の2人に1人、女性の5人に1人に達するということであった。厚生労働省もこのデータに強い懸念を示し、メタボリックシンドロームの概念を導入した新しい予防運動を展開する方針を決めた。健康日本21では、健康的な食餌習慣を初めとして規則正しい運動、少なくとも1日の歩行数が男性で9200歩、女性で8300歩を維持することを奨励している。また、日本循環器学会が作成した循環器疾患一次予防のためのガイドラインでも「中等度の強度(時速4.5−6.5 kmのはや歩き、ゆっくりと泳ぐ水泳など)の運動を1日30分、出来れば毎日」行う事が勧告されている。

世界ハートの日

 健康な社会を作り上げることを目的として結成された団体として、世界心臓連合(WHF: World Heart federation)がある。186の国が参加しており、定期的に世界心臓学会を開催しているのもこの組織である。丁度6年前、2000年のシドニーオリンピックの機会に、このWorld Heart Federationは世界ハートの日(WHD; World Heart Day)を設立した。その目的は、多くの人たちに心臓病と脳卒中に対する関心を呼び起こし、健康なライフスタイル、運動、スモークフリーの環境、健康な食餌、体重のコントロールを奨励して心疾患のリスクを減少させることにある。WHDは毎年9月最終日曜日と決められているが、わが国では日本心臓財団が1985年から20年以上にわたって8月10日をハートの日と定めて独自の予防キャンペーンを続けているので、初めは新しく始まったこの運動にあまり積極的ではなかった。しかし、世界が一体となって行なう地球規模の活動を無視することが出来なくなり、2005年から初めてこの予防運動に参加することになった。毎年、新しいテーマが設定されており、これまでに、2000年のシドニーオリンピックの最中に叫ばれた"Let it Beat"から始まって、"A Heart for Life" (2001), "Healthy Lifestyle" (2002), "Women" (2003), "Children and Adolescence" (2004), そして2005年の"Healthy Weight, Healthy Shape"と続いて来た。2005年のテーマに関しては、腹囲を測定して心血管系のリスクを理解しようというキャンペーンが行なわれた。その一環としてWHFは世界27カ国で16,000人を対象にしてShape of the Nations (SONS)というアンケート調査を行なった。この調査の結果によると、一般市民で内臓脂肪が心血管系疾患のリスクとなることを知っていたのは全体の30%に過ぎず、医師の診察を受けるとき腹囲の測定を期待すると答えた者は5人に1人に留まったという。誰にでも何処でも出来る腹囲の測定が心血管系疾患や糖尿病に罹患するリスクを推定する上で実に有用であることをもっと多くの人に知ってほしいと思う。

病者における生活の質

 ところで冒頭に述べたとおり、多くの人たちが今、人生の最後の数年間を生活の質が極めて損なわれた状態で過ごしている。我々医療者はこの事実にもっと大きな関心を寄せる必要がある。欧米に於いては、循環器疾患治療の究極の目的はすべて生命予後の改善におかれている。ある種の強心薬は心不全患者の生活の質、特に運動耐容能を明らかに改善することが確認されながら、死亡率を増加させる、あるいは増加させる傾向があるという理由から認可されていない。10年以上も前のことになるが、わが国で1つの新しい強心薬が開発された。この薬はまず、わが国における第III相多施設協同試験に於いて心不全患者の予後を改善する可能性が示された。この薬で特に注目されたのはdigitalisと同様に、治療域が狭く、少量投与では予後が改善するが大量に投与すると死亡率がかえって増加したことであった。一方、アメリカでは4000人に及ぶ患者を対象とした大規模な臨床試験が行なわれたが、その結果は他の強心薬と同様にこの薬も用量依存性に心不全患者の死亡率を増大させるというものであった。心不全患者に強心薬を投与することは、やせ馬を鞭打つことに例えられた。一時的には馬の歩みを速めることがあっても、長期的にはかえって馬を弱らせてしまうことになるというのである。この試験を契機にこの新薬は市場からは抹殺されることになった。ところが、この試験に参加した多くの患者が症状の改善と生活の質の改善を示したのである。この新薬に関するデータが公開され、本薬が死亡率を増加したことが告げられた後も、多くの患者が症状の改善を理由に試験薬の継続投与を希望した。これらの結果は心不全治療の目的を何処に置くべきかという点に関して重要な示唆を与えるものであった。

治療の目的:死亡率の改善か?生活の質の改善か?

 前述の臨床試験の結果がNew England Journal of Medicineに発表されると、慢性心不全と生活の質という問題に関して多くのコメントが同じ雑誌の誌上を賑わした。エディトリアルでは、多くの治療にも拘らず心不全の病状が常に進行性で安静時にも症状が持続している患者では少しでも症状が改善するのであれば、生存率が治療の目的である必要は無いことが指摘された。重症で軽度の労作や安静時にも症状を有する心不全患者のうち49%が少なくとも残りの人生の半分を快適に過ごすことが出来るのであれば、死よりも生活の質の向上を優先したいと考えているという。このエディトリアルは、死亡のリスクを増加させることがあっても、生活の質の改善を目的として症例によっては強心薬の使用が正当化されることもあるのではないかという提言で結ばれている。日をおいて同誌のコレスポンデンスセクションに上述の意見に対して賛同と反対の2つの見解が多く寄せられた。前者は末期心不全は「心臓の癌」と呼んでも良いほど悪性で、癌の専門医が回復の見込みのない患者に緩和治療を施すように、心不全患者にも死亡のリスクを犠牲にしても生活の質の改善が望まれる場合が有ると言うものである。後者の意見は、心不全治療に於いて生活の質の改善が重要である事には異存は無いとしながらも、その改善が本当に統計的に有意で、長期に持続するものであるかどうかが不明で、この新薬が本当に死に代えても良いほどの生活の質の改善をもたらしたかどうかの判定は、死者が口を開いて、死亡と生活の質の改善とを取引する価値があったと語ってくれない限り、そう簡単にはその取引に応ずることは出来ないとしている。これらの意見に対して論文の著者は、問題の新薬が生活の質を改善した程度は確かに著明ではなく、統計的にも持続するものではなかったが、中には劇的な改善が見られたものがあることを改めて強調した。試験に参加した多くの患者が生活の質の改善を優先したことを述べ、医師が治療するのは一人の患者であり、ある治療に対する患者の反応が大規模試験で見られた平均的効果に一致しないことがしばしばあることを主張した。

 一方、死亡のリスクと生活の質の改善とを取引(trade off)しても良いと考えているのは末期心不全患者だけとは限らない。比較的軽度の心不全患者101例を対象にして"Living With Heart Failure Questionnaire"という質問表を用いて薬物治療により死亡が増加するリスクと生活の質が改善することをどのように考えるかを検討した調査がある。この質問表は21の項目からなっており、それぞれの項目を1から5までの5段階に評価するものである。従って、全く問題のない場合は0、最も悪いスコアが105ということになる。この調査では、40%の患者が105のスコアの内5ポイントが改善するのであれば5%の死亡のリスクを喜んで受け入れると答えたという。

わが国における心不全治療

 近代科学は普遍性の探求を主眼にしてきたが、その多様性を特徴とする生物界を普遍的で単純な法則だけで理解することは出来ない。地球の生物圏の不均一性は人種間にも見られ、疾病を理解するのに人種差や男女差がしばしば問題となる。アメリカでは今白人と黒人の人種差が色々と取り上げられている。日本人と白人の間にも循環器疾患の病態に無視出来ない人種差が存在する。幸いなことにわが国に於いては、心不全による死亡率は欧米諸国に比して明らかに少ない。この場合、心不全治療のプライマリーの目標は死亡率の減少だけでなく、生活の質の改善におかれても良いと思われる。生活の質を量的に評価するのは非常に難しいが、我々は個々の身体活動を行うために必要なエネルギー量に基づいて設定したスコア(身体活動指数)を提唱した。患者が日常生活の中で習慣的に、あるいは特定の状況で行う可能性のある身体活動で使用されるエネルギー量を実際に測定し、それぞれの身体活動を症状なしに行うことが出来るかどうかを問う質問表を用意した。この質問表のデータをまとめて患者の運動耐容能をエネルギー量として数値で表現することが出来る。このスコアは今でも循環器疾患のアウトカムの評価にわが国で広く用いられている。心不全による死亡率の低いわが国では強心薬の位置付けも欧米とは必然的に異なるはずである。欧米と明らかに病態を異にする日本人の心不全の治療には、欧米のガイドラインをそのまま鵜呑みにするのではなく独自の指針を打ち立てる必要がある。最近開発された強心薬で、外国では死亡率を増加させるという懸念から認可されなかったものも日本人では死亡率を変化させないで生活の質を向上させるという意味で使用が許されるものがあると確信する。

結論

 ジョーンズホプキンズ大学の内科教授であったフィリップ・タマルティーは病気が人間に及ぼす衝撃は常に多元的で、その影響は、人間全体、すなわち人間を形成する精神的、知的、情緒的、社会的、経済的要素に及び、極めて複雑であると述べている。すべての人間は生への執着が大きい。従って多くの治療において生命の延長が最終的な目標とされるのは当然といってよい。しかし、最善と思われる如何なる薬物治療にも反応しない患者に於いては、症状の改善を伴わない治療は例え生存率を増加させても究極の治療とはなり得ない。延命が全ての人に幸せをもたらすとは限らないことに関して、イヴァン・イリッチは現代社会における驚異的な医学の進歩を「悪魔的」と表現し、「それによって、全ての人が個人的健康の非人間的なまでに低いレベルで生かされている」と批判している。この場合、生活の質を改善することを治療の主要目標と考えてもよい。医師が一方的に、救助者であり恩恵を与える者であると自認するとき、医学から人間的なものが失われる。もともと科学に必然とされる自然の摂理に対する挑戦も臨床医学に於いては無条件に許されてはならない。

 健康なヒトであっても、心置きなく人生をエンジョイするためには生活の質が十分に保たれることが必要である。筆者が理事を務めているWorld Heart FederationというNGO団体は"to help people achieve a longer and better life"を目的として地球規模の活動を続けている。Better lifeを維持するためには病の床につく前の若い時代から健康な生活習慣を守る必要があるのは言うまでもない。

平成18年7月16日


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