2006.9.28
 
サロン談義 (環境と健康Vol.19 No. 3より)


サロン談義1 元気で長生き

 問題提起:整形外科から見た高齢社会とQOL 山室隆夫

 コメント:循環器内科から見た医療の理念

篠山重威

 

 

問題提起:整形外科から見た高齢社会とQOL

山室隆夫(整形外科)

わが国における高齢化率の推移

 65歳以上の人の数が全人口に占める割合を高齢化率という。国連の定義によると、高齢化率が7%を超えた社会を高齢化社会と呼び、14%を超えた社会を高齢社会と呼ぶが、わが国は、1970年に高齢化社会となり、1994年に高齢社会となった。この間、高齢化率が倍増するのに僅か24年しかかかっていない。これは世界に全く例を見ない程の速さであったが、その後も、わが国では高齢化率が伸び続け、2005年には20%に達している。そして、厚生労働省の推計によると、高齢化率は2015年には25%に、2050年には35%になるであろうと予測されている。そうなると、わが国では3人に1人以上が高齢者ということになるのである。

 また、わが国に於ける平均寿命の推移を見ると、1955年の平均寿命は男子が63.60歳、女子が67.75歳であったのが、 2005年には男子が78.64歳、女子が85.59歳となっている。即ち、50年間に男子で15.05年、女子で17.84年の平均寿命の延びがあった。その結果、1955年には65歳以上の人口が約500万人であったのが、50年後の2005年には約2,500万人と5倍に増加している。そして、2050年にはわが国の高齢者人口は4,300万人以上に達すると予想されている。

 この様に、いわゆる高齢者が全人口の1/4〜1/3を占めるような社会は何となく不自然である。後述するが、これは高齢者の定義が不適切であるからではないかと私は思っている。

わが国における出産率の推移

 わが国では、1950年はいわゆる第1次ベビーブームと呼ばれた年で、その年の合計特殊出産率は3.65であった。その後は、ほぼ2.00以下に下がっていたが、1973〜1974年のいわゆる第2次ベビーブームには2.13〜2.14となった。しかし、その後は低下の一途をたどり、1991年には1.39、2001年には1.33、そして、2005年には実に1.25にまで下がり、年間の死亡数が出生数を上回って、わが国の人口の減少が始まった。この傾向は、今後約50年間は続くものと考えられている。

 わが国は、上述したような高齢化率および出産率の推移をたどったことによって、人口の減少を伴う少子高齢社会となってきたのである。

世界人口の推移

 少子高齢社会になったと言っても、わが国は世界で10番目に大きい人口を抱えている。また、わが国の国際的な経済活動を考えれば、その人口問題も社会福祉の問題も世界的な視野で捉えなければならないことは当然である。そこで、わが国の人口問題を考えるために、先ず、世界の人口の推移について見てみよう。

 地球上の人間の数は西暦1000年頃では約3億人、1800年頃では約10億人であったと推測されている。地球上の総人口をほぼ正確に数えられるようになったのは20世紀の初めだそうで、1900年には世界人口は約16億人であったといわれている。それが、1950年には25億人となり、2000年には61億人となった。20世紀の僅か100年で世界人口は3.8倍と爆発的に増加したのである。21世紀に入ると、人口増加の傾向はやや弱まると考えられてはいるが、それでも2006年現在の世界人口は65億2,383万人となっており、米商務省統計局の試算では2045年には90億人を超えるであろうと予測している。

地球は激増する世界人口を支えられるか

 このように、地球は今や厖大な数の人間によって占拠されているために、食料不足、水不足、エネルギー不足、自然界の汚染と破壊、地球温暖化による気象異変、更に、人間以外の生物の絶滅などが起りつつある。これらの現象は将来の技術改革やエネルギー革命によって或る程度は軽減させることが出来ても、激増する世界人口を支えるための抜本的な解決にはならないのではないかと思われる。したがって、地球上で、他の動植物と共存しながら、人が人らしく生きるためには、人口の激増、戦争、そして環境破壊を防止しなければならないことは自明の理である。特に、世界人口の激増を阻止することが最も肝要であると考えられる。

 現在の世界全体の平均寿命は約65歳であるといわれている。これは、感染症(特にエイズ)や栄養失調のために平均寿命が30〜40歳代に留まっている多くの南アフリカ諸国をも含めた世界の平均寿命である。現在、先進国の人々が食料不足やエネルギー不足に悩まされることなく長寿を楽しんでいられるのは、地球規模で見れば、いわば貧困諸国の人々の犠牲の上に成り立っているとも言えよう。貧困諸国の感染症や栄養失調が克服されて、その平均寿命が延び、出生率が上昇してくれば、地球は食料とエネルギーの面からだけでも厖大な世界人口を支え切れなくなるであろうと考えられる。

少子高齢化は憂えるべき社会現象であろうか

 先に述べたように、わが国は人口の減少を伴う少子高齢社会となった。当然、若年者の数が少なくなり、高齢者の数が多くなるわけであるから、今のままの60歳前後で定年というような制度を維持し続けるならば、全ての社会保障制度が破綻することになる。したがって、わが国では少子高齢化は極めて憂えるべき社会現象であるように言われている。果たして、そうであろうか。

 先ず、少子化は人口の減少につながるので、グローバルに見れば、世界人口の激増に聊かでも歯止めをかけるという意味で歓迎すべきことである。したがって、わが国は合計特殊出産率が1.20位までの低下ならば容認し、人口の2割位までの減少は受け入れるべきであろう。しかし、わが国一国だけの単位で見れば、将来の勤労人口の数が減少するので、国際競争力が低下し、社会保障制度の維持が困難になるであろうと危惧するむきもある。これに対しては、後に述べるように、いわゆる前期高齢者(65〜74歳の人)の多くを現役人口に組み込むことによって補うことが出来るであろうと考えられるし、元気な前期高齢者のためにもそうしなければならないと思う。この様に考えれば、少子高齢化はそれほど憂えるべき社会現象ではないと私は思っている。

高齢者の定義は今のままでよいのか

 世界的に65歳以上の人を高齢者と呼び、それに基づいて多くの統計が出されて「高齢社会」の問題が論議されているが、なぜ65歳なのかはっきりとした生物学的な根拠は無い。65歳以上という区切りは、半世紀以上も前にドイツにおいて年金制度ができた時に、65歳以上の人に年金を支給することが決められ、それが先進国に普及したのが始まりであるとされている。しかし、この半世紀の間に日本人の平均寿命は先述のように15〜17歳も延長してきているのである。当然、高齢者の定義も変わらなければならないのではなかろうか。

 現在、わが国では65歳以上の高齢者の数は約2,500万人であるが、そのうち、いわゆる前期高齢者は約1,400万人で、後期高齢者と呼ばれる75歳以上の人は約1,100万人である。私自身も後期高齢者の一人であり、また、私は臨床医として今も多くの高齢者を診ているが、一般に、日本人は75歳以上になると色々な点で老人らしくなってくるように思われる。また、日本人の健康寿命(人が健康に自立して生活できる期間)は2000年の調査で平均73.6歳(男子で71.4歳、女子で75.8歳)となっている。最近の調査結果は見当たらないが、おそらく平均75歳位になっているものと思われる。即ち、今では、日本人は平均75歳位までは健康で自立した生活をしているのである。したがって、もし75歳以上を高齢者と定義するならば、高齢社会に関する統計上の内容は著しく変わってくることになるし、これからの高齢社会対策も大きく変わることになるであろう。

少子化社会において現役人口を確保するには

 少子化に起因する社会問題を解決する重要な鍵は、社会保障や医療補償を支えるという役割を担っている現役人口を増やすことにある。そのためには、現行のサラリーマンの定年制を考え直し、時宜に適った延長が必要である。それも無理に定年を延長するのではなく、働きたい高齢者を支援するような制度を作り出すのである。その上で、年金を支給する時期の選択肢を増やすなど、高齢者が自己責任で働き方を選ぶことのできるような仕組みを作るべきである。

 厚生労働省の調査によると、65歳以上で働いていない男性の約4割、女性の約2割が働くことを希望している。高齢になってもなぜ働きたいのか、その理由として2002年の総務省の調査では、男女共に約3割の人が「健康を維持したい」ことを挙げ、「収入を得たい」という理由を上回っていた。この調査から、高齢者は経済的理由よりも「健康」や「生き甲斐」などに働くことの意義を感じていることが明らかになった。政府の高齢社会対策大綱でも「高齢者が知識と経験を生かし、経済社会の担い手として活躍できる環境の整備」をうたっているのに、何故、選択肢のある定年の延長が早く普及しないのか理解に苦しむ。特に、約1,400万人もいる前期高齢者のうちの健康な人を自発的に現役人口に組み込むことができれば、その人達の生き甲斐にもなるし、社会保障制度を支える力にもなるであろう。

 最近、都会の周辺の山々は、ウイークデイでも、60歳代と思われる登山者で大変賑っている。健康のための登山ブームは結構なことであるが、その人達のうちの少なくとも約半数は働きたくても定年で職を失ったために年金生活を余儀なくされているのではないかと推測される。このような健康で働きたい人達を現役人口に組み込む仕組みを早急に作るべきである。1950年の第1次ベビーブームに生まれたいわゆる団塊世代の定年がもうそこに迫って来ている。この人達に健康と生き甲斐を与えつつ、社会保障制度を維持していくには選択肢のある定年の延長が最良の方法であると私は思う。

生活習慣病と生活機能病

 わが国は生活習慣病の予防や癌の早期発見が進歩したことによって世界一の長寿国になった。それは、日本の医療、特に予防医学の成果であり喜ばしいことであるが、それを裏から見ると、「長生きはしたが寝たきり」の高齢者を多く作ったということも否めない事実である。後期高齢者についてみると、75〜79歳の人の約7%、80〜84歳の人の約12%、そして、85〜89歳の人の約22%が「寝たきり」となっていると言われている。これはわが国全体でみると、大変な数である。また、65歳以上の高齢者全体では、その約13%が要介護状態であるとも言われている。そのために、近年、老人医療や介護保険にかかる経費が急増してきているのである。また、「長生きはしたが寝たきり」の増加は高齢者のQOL(生活の質)の面から見ても、大きな問題を提起している。

 生活習慣病は生活習慣が原因で起る全ての病気を指すので、ここで私が述べようとしている生活機能病も広い意味では生活習慣病に含まれる。しかし、私が敢えて生活機能病を生活習慣病と並列させて論じるのには次のような理由がある。即ち、世間では生活習慣病というと高血圧、糖尿病、高脂血症、動脈硬化などを指すと思われている。勿論、これらは日本人の三大死因のうちの脳卒中と心臓病の原因となる病気であるから予防が大事であることは言うまでもない。生命にかかわるという意味では癌と共に恐るべき病気である。しかし、老人のQOLを著しく低下させる「寝たきり」の状態の原因は、わが国では第1位が脳卒中、第2位が筋力低下を伴う老衰、第3位が骨折となっている。したがって、「長生きはしたが寝たきり」となるのを防止するためには、上述のような生活習慣病を予防するだけではなく、筋力の低下や骨粗鬆症の防止が大事である。筋肉や骨は関節と共に運動器系の主体である。運動器系とそれを支配する神経系は、人間の自立を助け高いQOLを維持するためには不可欠の組織系である。これらの組織系に不調が起ると、生活機能が様々に障碍されてQOLが低下する。それで、これらの組織系の病気を特に「生活機能病」と呼ぶのである。筋肉の衰えも骨の粗鬆化も生活習慣を変えることによって防止することができるので、広い意味では生活習慣病とも言えるが、世間ではその様に理解されていない。「寝たきり」になるのを防止するためには、「生活機能病」の予防が不可欠であることが世間に広く理解されることが望まれる。

生活機能病の予防

 老人のQOLを高く保つには生活習慣病の予防以上に生活機能病の予防が大事である。わが国の現状をみると、このことは如何に強調しても強調し過ぎということはないと思う。その生活機能病の予防方法については、本誌、その他に詳しく書いたので、此処では述べない(環境と健康、19: 25-33, 2006、からだの科学、244より250まで連載、2005〜2006)。

 最近、医療制度改革法が成立したが、その狙いは年1兆円の伸びを示す国民医療費の抑制にある。しかし、その中身は相も変わらず生活習慣病の予防で、内臓脂肪症候群(メタボリック・シンドローム)など生活習慣病の予備軍を早期に発見して保健指導が出来るように、40歳以上の人の検診を市町村に義務づけるものである。これによって、政府は2025年までに2兆円の医療費抑制効果を見込んでいるが、私はこの様な検診と保健指導では日本人の平均寿命は更に延びるであろうが、「寝たきり老人」の数が益々多くなるのではないかと危惧する。「寝たきり老人」の数が増えれば、介護費用を含めた医療費は益々高額とならざるを得ない。日本は既に世界一の長寿国ではないか。これ以上に平均寿命を延ばすよりも、「寝たきり老人」の数を減らして高齢者の自立を助け、高いQOLを維持させることの方が老人の生き甲斐にもつながり、医療費の抑制にもつながると私は思う。そのためには生活機能病の予防が何よりも大事なのである。簡単に言えば、80〜85歳位まで自立して楽しく生きて、脳か心臓の病気でコロリと死ぬのが最も理想的な人生である。そうなるためには、ボケないために頭の訓練をし、足腰が弱くならないために運動器系の鍛錬を持続する必要がある。その様な、生活機能病の予防のための医療法の改正こそが本当は望まれるのである。これ以上長生きをさせて、寝たきり老人を多く作ってどうするのだ、と言いたい。

平成18年6月28日


 

コメント:循環器内科から見た医療の理念