2006.9.2
 
Books (環境と健康Vol.19 No. 3より)

末木文美士 著
日本宗教史


岩波新書(新赤版)1003 ¥780+税
2006年4月20日発行
ISBN4-00-431003-2

 

 

 最初に本書評論に先立つ関連解説(S.T. ヒッチコック, J.L. エスポズイート:世界の宗教、日経ナショナルジオグラフィック社、2005)から始める。本号Booksの2つの評論、「多神教と一神教」(p.345)、「古代中国の文明親」(p.346)で、西欧文明と中国文明のルーツを取り上げたが、最も古い第3の文明はインド亜大陸のインダス川水系で発祥したもので、紀元前2000年にはすでに文字文化としてのハラッパー(モヘンジョダロ)文明が栄え、ヒンドゥー教発祥の地である。教義はその環境の多様性に対応して、昆虫からヒトまで全てその魂は「輪廻転生」するので、たとえ多様ないのちを経たとしても、ヒトはヒトから生まれてヒトに戻るという自然のリサイクル思想である。すなわち神とヒトを隔てるものはないが、その多様な神々を統合する力を持つ超越神ブラフマンを信じていた。紀元前 5 世紀に、特権階級の王子であったシッダールタ(仏陀)が、このヒンドゥー教の 1 修行者として開いたものが仏教で、生きる苦しみを繰り返す「輪廻転生」のリサイクルから抜け出す(解脱)至福の道を説いた。この仏教が、やがてシルクロードを通じて朝鮮半島から、文物や物語の形で、多神教の日本の土着信仰(古層)に伝えられた。

 そこで本書を通じていよいよ我国の文明に付いて評論することになる。我国の文字文化として歴史に残るものは、かなり新しく7世紀の白鳳時代に編纂され漢字で書かれた「古事記」「日本書紀」とそれに続いて万葉カナを用いた文学としての「万葉集」である。それ以前のものは、全て伝承された言語文化であって、歴史としての考証に耐えない。埋蔵物などの考古学遺物からは古代の人々の生活や何らかの宗教行為が伺えるが、すでに高松塚壁画の例にみられるように、大陸の宗教の影響が大きい。「古事記」「日本書紀」の神話、すなわち記紀神話には既に仏教の影響も入っていて、天皇の権威を確認する国家神話としての面が強く、とても現在の記紀神話をもって、仏教渡来以前の日本の古層とは考えられない。「古事記」上巻の神代では、最初から次々と神々が生まれて来て、その最後が男神イザナギと女神イザナミで、女神が黄泉の国に去った後、神々の世界もアマテラスとスサノヲに分裂し、アマテラスが天上(高天原)の支配権を握り、地上の秩序の形成に関わったのがスサノヲとのことである。その後スサノヲを高天原から出雲に追放し、服従させて、アマテラスの血統を継ぐ天皇の国土支配が確立し、天孫降臨となる。しかし国土と多数の神々の生誕は説かれているが、人々の誕生は説かれていない。一般の人々は「青人草」と呼ばれ、国土と共に生まれた付属物のように扱われている。

 ここから「古事記」中巻が始まり、これまでの神話と歴史を区分し、その最初の第1代の神武天皇以後の弥生文化時代では、寿命と墓所を記し、神武天皇の即位をもって、明治政府は日本国建国の日とした。しかしこれも陰暦の元旦を新暦にしただけのものであって、その天皇を祀る橿原神宮も明治22年(1989年)に創建されたもので、決して歴史的にさかのぼれるものではない。アマテラスを祭るのは伊勢神宮であるが、これとて実際に朝廷と伊勢とが関係を持つのは、天武・持統朝の頃で、前代天智天皇の後継者とみなされた大友皇子を破った時に味方につけた伊勢の豪族たちの土着神に特別の地位を与えたとの日本書紀の説もある。しかしアマテラスが全くのこの時期の創作という訳でもなく、アマテラスが光り輝く絶対者として後に密教の大日如来とも習合することにもなる。

 この日本書紀の時代に活躍したのが聖徳太子で、天皇の長男であり、摂政という地位を与えられながら天皇にならずに、仏教の宗教的権威を国家体制に浸透させるのに努力し成功した。このようにして、支配層の神道と、先進大陸文化と共に民衆に受け入れられた仏教思想が、平安朝まで神仏習合の思想として共存することになり、日本の古代が終わる。

 鎌倉・室町の中世に入ると、神仏論の展開となり、新たに神道理論の大成や、仏教では禅の思想が地方に展開し、葬送の儀礼などを通して勢力の伸長を図った。

 やがて近世初頭の戦国時代に入って初めて新たな西欧文明としてのキリスト教に出会うが、江戸時代に入ると、幕府はキリスト教を禁制し、民衆支配の倫理思想として秩序を重視する儒教をとり入れ、仏教の寺壇制度を通して、現生のみならず死後の管理にも大きな力を発揮し、後の葬式仏教の基礎を作ることになる。このようにして、「天道」による統一のもとに神・仏・儒の三道を説く熊沢蕃山の「心学王倫書」(1650)が流布される。しかし支配階級の間では次第に神仏から神儒へ、そして神道の来世観として古代の古層と結びついた復古神道となり、尊皇攘夷のイデオロギーを生んで近代を迎え、神仏分離から、天皇中心の国家神道の一新教への道をひた走り、第2次大戦の敗戦とともに一旦国家神道は壊滅したかに見えた。しかしいまや再び靖国問題を契機に再燃する可能性を秘めている。

 本書は、日本の土着信仰である「古層」の問題を筋として、古代から現代に至るまでの日本の宗教史を概観しているが、結局は不確実な「古層」の一貫性という虚構に足をすくわれた日本文明の宗教史に厳しい目が光っている。宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにしようとする全ての個人の心の問題であり、既に人間関係にとりこまれており、一つの神を信ずるか信じないかの次元の問題でないと思うが如何であろう。

山岸秀夫(編集委員)