2006.3.1
 
Editorial (環境と健康Vol.18 No. 6より)


スローライフ、スローフード、スローサイエンスの勧め


京都大学大学院地球環境学堂/人間・環境学研究科両任教授
小川  侃

 

 

 私たち人間のこの環境世界における生活は、衣食住と切り離せません。ひとは毎日、何かを食べ、どこかに住み、何かを身にまとうのです。生物学の古今を通じての大変な観察者であったアリストテレスは、彼の『形而上学』講義のなかですべて生物は次の瞬間にも生き続けることを求めるのであり、これはいわば生の必然性であると述べています。そのときなによりも必要なのは、呼吸すること、栄養摂取をすることだ、と見ていました。この栄養摂取が人間にとって持つ意味をさぐるために「医食同源の哲学」または「美しさ、味わい、健康」というテーマで来年(2006年3月)に国際会議を計画しています(p481〜482参照)。これは全世界の哲学のなかで、現在、人間の実際生活への指針や示唆を示すことを使命として自覚する傾向があるからです。私たちの今回の会議の意図はおよそ次のようなところにあります。

 現代人の食生活のなかではファストフードなど食事の効率化が求められています。いったいこれは正しいことなのでしょうか。なぜ食事にも効率化が必要なのでしょうか。効率化は時間を短縮し、よりすばやく食事を済ませたいと思うところにあり、食事をそのものとして楽しむということを求めてはいません。スローフード、スローライフをおこなうときに人間はもっと豊かな生活を送ることができるのではないでしょうか。もともと本来の日本食は、「お袋の味」に代表される家庭料理でも料亭の料理でも「ゆっくり生きる、ゆっくり味わう」ということを求めていました。とくに京都には美しい雰囲気を味わいながらいただくお茶事、茶懐石、弁当などという伝統があり、このような伝統をさらに引き継ぎながら新しい日本料理の工夫もなされています。食事は単に飢えを満たせばよいというものではありません。そうではなく食事の雰囲気、美しさをもゆっくりとした時間の流れのなかで味わうべきものです。そのような生き方、スローライフの生き方をすることが、健康に結びつくのではないかと思います。

 食事の雰囲気の味わいというのは、有名なレストランの場合のように、いわば料亭の門をくぐったときに始まります。食事の雰囲気には食事の部屋への石畳、庭、手水場、床の間、花、掛け軸、そして料理自身が、皿,箸、器などの美しさとともに関わります。雰囲気はしかしそれらのひとつには還元できません。雰囲気はまさしくひとが呼吸し、味わい、それを生き抜くある全体、つまりは決して部分に還元できない全体なのです。

 付け加えますと、食材を料理する清潔な台所は、食材の新鮮さ、リサイクルとも関わります。食事には「人間と環境」の関係の全体が関わるのです。運ばれた料理をひとは食べますが、そのあとには消化という作用が待っています。前世紀の半ばころに当時一世を風靡したサルトルは彼にいたるまでの伝統的哲学はたんに世界を消化する「胃」にすぎないと述べました。速く簡単に世界を消化し成果をだす学問もあれば、ゆっくりと成果をだす学問、たとえば哲学や文学や文献学もあります。私のスローライフ、スローフードの勧めは深いところでスローサイエンスの勧めに結びついています。