2005.9.13
 
Books (環境と健康Vol.18 No. 4より)
吉良枝郎 著
幕末から廃藩置県までの西洋医学

草築地書館 ¥2,000+税
2005年5月17日発行
ISBN4-8067-1306-6 C0021
 


  
 著者は呼吸器内科の専門で、自治医科大学と順天堂大学での豊かな医学教育の経験を踏まえた上で、本書を上梓したもので、2000年に同出版社から発刊された本書の姉妹編「日本の西洋医学の生い立ち−南蛮医学渡来から明治維新まで」と合わせると、立派な日本近代医学史のテキストとなる。それに巻末には注として、それぞれの史実の裏付けとなる詳しい資料が掲載されている。

 本書を見るまでは、江戸時代に漢方医学の日陰ものとされていた蘭学が、明治維新を期に主役となって歴史の表舞台に登場し、西洋医学への道を拓いたものと理解していた。しかし史実はどうもそうではなさそうである。蘭学と一体となった蘭方医学は、幕末になってやっと幕府から公認され、開国後は外交使節との交渉の場での翻訳家としての役割を担わされたが、鎖国下での各藩で伝統医学と西洋医学の認識力を蓄えてきた蘭方医学者は廃藩置県によって完全に息の根を止められ、中央政府主導の医学教育路線が敷かれていった経緯が史実に基づいて語られている。蘭方医学はまたも日本近代医学成立の裏方の役割に徹したことになる。

 幕末の各藩では、版籍奉還によって天皇が幕府に入れ替わったという基本的な理解で、藩政改革の一環として、蘭方医が中心となって外国人教師の招請を行ない自力で人材を育成し、自藩の近代化と強化に当たった。それと対照的に、新政府はむしろ多数の留学生を欧米諸国に派遣して、手っ取り早く外国文化をとり入れた。こうして維新から廃藩置県までの間に、東京では蘭方医学からイギリス医学へ、そしてドイツ医学へと置き換えられていったのである。このような背景の上で廃藩置県が行なわれ、各藩独自の医学校がつぶされて、政府設立の医学校が座り込んだのである。昨今日本の科学の後進性が問題にされているが、その自主性や独創性の芽は明治維新政府の富国強兵政策の犠牲になったとも言える。

 もう1つ注目した点は、明治維新まで蘭方医学は蘭学と一体となっていたのに、維新に入って西洋医学が洋学と分離されたことである。蘭方医学はまさに医療を目指した文理融合の医学であり、維新後導入された西洋医学は洋学と分離した、要素還元主義に根ざした科学としての医学であったと言えよう。

 本誌発行の両健康財団で進められている「いのちの科学プロジェクト」では、そのキーワードとして「地域に根ざした文化(京都ローカルの復権)」と「文理融合」を掲げているが、いずれも維新政府によって1度摘み取られた芽の再生プロジェクトとでも言えよう。本書は現代日本医学のルーツを探る上での貴重な資料を提供している。

山岸 秀夫(編集委員)