2005.3.1
 
Editorial (環境と健康Vol.18 No. 1より)
第18巻のはじめに

菅原 努

 


 本誌もとうとう 18 巻を始めることになりました。普帳よく三号雑誌と言いますが、これはよく 18 年も続いているものだと我ながら感心しています、そこで先ず、この間のことを簡単に振りかえって見ます。

1. 発刊の辞(1988 年Vol.1、No.1)
 1980 年に発足した放射線リスク検討会はその成旺を 2 度にわたって単行本の形で発表してきましたが、それが難しくなったので、これからは自ら雑誌を作って公表することにしました。記録として活動の成旺を残す事が第一で、そのためには寄贈配布をするが、出来れば会員制で読者をつのり広めたい。これがこの雑誌の出発点で、放射線を中心とする環境問題にリスク論の立場から切り込むといった姿勢で始めました。
 従って、内容はリスク検討会での発表が中心。その他には Bio-update、サロン談義(科学的に賛成・反対の両論のある話題を取り上げて解説:故鈴木吉彦氏担当)などでした。

2. 体質研究会の研究の広がりとイメリタスクラブの発足を受けて分野を拡大(1991 年Vol.4)
 高自然放射線地域住民調査の開始太陽紫外線防御研究委員会の発足、科学進歩日本委員会(JCSD)の設立などが私達の周囲で始まったのを受けて、新たな話題を記事に加えるようになりました。

3. 健康指標プロジェクトの発足を受けて(1999年Vol.12)
 このプロジェクトでの講演記録(その編集はプロジェクト主査の山岸秀夫京大名誉教授にお願いした)を中心とし、関連の研究活動(JCSD,リスク検討会など)の記録などを“トピックス”として加え、またEditorialを確立する、ということで現在の内容編成がかたまりました。

4. 編集陣の確立(2005 年Vol.18)
 今年からしっかりとした編集体制をつくり、それを充実しながら 19 巻からの環境と健康を論じる新しい形の雑誌を目指したいと思っています。

 以上が全体の流れですが、この機会に私の率直な気持を述べておきたいと思います。

 私がこの雑誌を始めたときには私もまだ若かったのです。初めのうちは原稿が足りないと急いで誰かに無理に頼んだり、止むを得なければ自分で急いで書きました。でも中心になる(財)体質研究会の活動が活発になり、範囲も広がるとともにその苦労はなくなり、埋草程度を作れば毎号が出来るようになりました。一部の方からは関心を寄せていただきましたが、全体としては読者が限られたままで今まで推移してきました。折角雑誌を、しかも優れた著者の原稿の入ったレベルの高い話をもりこんであるのに、また私としてはEditorial などで社会に何かを訴えようと努力しているのに、このままではいけないと思って来ました。そこでいろんな公の情報処理システムに組み入れてもらうように働きかけて来ました。でもそれではまだまだ不十分です。もう一つ正直に言って私も何時までこれを続けることが出来るか自信がありません。この雑誌がお手許に届く頃には 84 歳になり、あちこちに故障を持っている多病息災で何とかやっていますが。この号から新しく編集委員会を立ち上げる事が出来て、ほっとしています。

 内容的には、今までの健康効旺指標の研究に代わって、「いのちの科学プロジェクト」が動き出していますし、今年の前半には新しく NPO 法人「さきがけ技術振興会」が発足する予定です。それらの活動とその成旺も順次記事として取り込み、内容を充実していきます。それに並行して、この雑誌の発展的改造を、19 巻を目指して検討していきます。その為に編集陣もさらに増員充実していく計画です。

 私は激動の 20 世紀の大部分を生き、そして幸いにも 21 世紀にも生き延びることができました。21 世紀こそと思っていたのが、現実は政治は勿論、地球までもが静けさを与えてくれません。この日本に生まれ育ってそして年老いた一市井人として、一番気になるのは明治以来のこの国の後追い姿勢です。しかし、我々は既に世界一の長寿を誇っています。さらに我々の持っている良い点、優れた点を積極的に生かす気持ちが大切だと思っています。そこで、このような立場から最新の知を追いながら、いのちを大切にする環境と健康を目指しみんなで考え議論する場としての雑誌が作れないものかと夢見ているのです。

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