Editorial (環境と健康Vol.17
No. 2より)
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40年近く続く教科書「放射線基礎医学」
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菅原 努
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私の講義ノートを元に「放射線基礎医学」をはじめて出版したのが1966年のことで、その後何回かの改訂を加えたが、20年後には大学を退職したので、1986年その編集を滋賀医科大学の青山 喬教授にお願いし、私はそれを監修させていただくことになった。それからさらに18年が経過しこの本もぼつぼつとお役御免にしてもらってもよいのではないかと思っていた。ところが今もなお引き続き需要があるから更なる改訂をというお申し出があり、それならばもう一度若返りをはかるべく新たに京都大学放射線生物研究センターの丹羽太貫教授を編集陣に加えて時代の進歩に対応した改訂を図ることにした。こうして、ここに内容の充実した改訂第10版を世に送ることが出来るのは私の何よりの喜びである。 これはこの「放射線基礎医学」(金芳堂)の改訂第10版に「監修者のことば」として書いた文章の出だしの部分です。個々の内容は科学の進歩に応じて改訂を繰り返して来ましたが、私がはじめに作った枠組みは今もそのまま引き継がれ、私がこれだけは理解しておいて欲しいと思った内容は十分に盛られています。この教科書はこのように長く続いているのですが、それを支える大学の研究室から放射線の字が段々と消えつつあるのは寂しいことです。 この第10版の監修をしながら、この教科書を作り始めたころのことをつくづくと思い出しました。1961年に私が赴任した京都大学医学部が最初で、その後大阪大学、東北大学、九州大学、東京大学、神戸大学(この順番は正確ではありません)と放射線基礎医学講座が出来てきました。広島と長崎には原子爆弾後障害を中心とする研究所や研究施設も出来ました。また日本学術会議の勧告にもとづいて京都大学に全国共同利用施設として放射線生物研究センターができたのが1981年だと思います。その後も新設医大である滋賀医科大学、福井医科大学にも放射線基礎医学講座が出来ました。それを担当した滋賀医大の当時の青山 喬教授が私の後をついでこの教科書を続けてくれたのです。 ところがどうでしょう、その後の大学の大学院化に伴う再編成で、この放射線基礎医学講座は次第に消滅しつつあるのです。他方医学における放射線の利用は増えることはあっても減ることはありません。最近でも日本における医用放射線の利用が欧米に比べて格段に盛んなことが新聞で話題になりました。その取り上げ方には問題がありますが、少なくとも医師が放射線についての知識を十分に持っているということは絶対的な条件です。直接の医学利用そのものについては放射線科がありますが、放射線を取り扱うまたはその使用を指示するのは放射線科医とは限れないのが我が国の実情です。さらに放射線の物理、生物作用、防護の仕方などはすべての医師の必須の科目です。ところがそれを教える教授がいないのです。これこそ問題ではないですか。 私の現役の頃には、学生に講義し、実習で放射線を取り扱い、医師としてのその重要性を示すと、沢山の学生が放射線取扱主任者試験という国家試験にチャレンジし、沢山の免許取得者が出来ました。これは医学に限らずあらゆる放射線取り扱いの責任者になるための資格ですから、これを持っている医師であれば、放射線のことは安心して任すことができるわけです。反対に医療施設に限って医師にはこの取扱主任者になる資格が無条件で与えられているのです。それであるのにそれにふさわしい教育をする制度が破壊されてきているのです。それでも私達の教科書がある程度売れているということは、まだ救いです。それだけこの問題を勉強しようという人が居るということですから。同じことは薬学や獣医学の分野でも起こっています。 4月に新しい第10版を出すに際して、放射線に関心を持たれるすべての人々にこの現状を知っていただきたく、思い出と現状を書きました。
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