Editorial
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低線量放射線の影響を科学的に調べよう |
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菅原 努
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昨年の9月30日に東海村のJCOで臨界事故があってから1年が経ったということで、新聞にはそれを振り返った特集記事が多く見られた。そこではなお住民に不安や原子力への不信が根強く残っていることを示しており、この事故の社会的なインパクトの大きさが改めて痛感される。しかしまたこれらの記事は私から見れば記事そのものに大きな問題を孕んでいるように思われる。永年放射線の生体影響を研究してきた立場からこの問題を考えてみよう。 毎日新聞の10月5日の「記者の目」は「JCO事故から1年」ということで署名入りの記事を載せている。見出しに「説明不足の原子力行政:怠慢が住民不安招く」としており、確かに痛いところを突いている点は評価できる。“健康不安を訴える住民に接した科学技術庁職員や原子力関係者から「科学的に説明しても分かってもらえない」「住民は原子力について知らなすぎる。放射線と放射能の違いすら知らないんだから」という発言をどれだけ聞いただろうか。住民の知識のなさを嘆く言葉を聞くたび「そう言うあなたたちは、何をしてきたのか」と憤りを感じた。国はどれほど真剣に、原子力について住民に知ってもらう努力をしてきたというのだろうか。”と言うのはその通りでこの点はかねてから放射線教育フォーラムも指摘してきたところである。これはまた研究の立場でも同様で人の健康を護る放射線防護の研究に国がどれだけ力を入れてきたか、大いに文句を言いたいところである。ところがこの記事での問題は、放射線の健康問題を論じたあと、“国や科学者の 安全 に対する認識と住民の認識には大きなずれがある。”と展開するところである。放射線の健康問題と原子力の設備的な安全とは科学的には全く異なる問題であるのに、それが 安全 という一言で片付けてしまっている。認識の差は認めるとして記者はこの区別をどこまで認識しているか、問いたいところである。 朝日新聞は9月27日から3日のわたって「検証」ということで「JCO臨界事故から1年」を無記名で特集している。そこでは最初に健康問題を取り上げている。「恐怖の日々、心身に傷跡:被ばく原因?体に不調」という見出しで、“住民の被ばくは軽微とされるが、放射線という「見えない恐怖」は消えず、傷跡はいえない。”と記事はつづく。勿論住民の受けた線量にたいする国の原子力安全委員会の見解として“数年から十数年後になってあらわれる白血病や肺がん、乳がんなどにつても、「発生の可能性は極めて小さく、影響は検出することはできないと考えられる」との結論を出した。”と紹介をしている。しかし問題は見出しの「被ばく原因?」と言う言葉である。一体何を根拠にこのように言えるのか、この点は実は科学者のなかにもいささか混乱している人がいるように思われるので、以下にこの点を少し論じることにする。 ご承知のように1986年にはチェルノブイリ原子炉事故があった。その事故で放射線を受けた人々について広範な研究が行われている。私の入手した資料でも、事故の後処理に従った人々(復旧作業者)に、内分泌、神経系、消化管などの病気が増えいる。しかし、世界中の専門家が集まって作成した原子放射線の影響に関する国連科学委員会の2000年報告(印刷公表は本年末の予定)のなかの「チェルノブイリ事故の放射線学的影響」は次のように述べている。 “チェルノブイリ原子力発電所における事故は、放射線被曝を伴う最も重大な事故であった。(以下事故の状況をまとめているが省略する。) しかしながら、チェルノブイリ事故から10年以上経過した時点で、事故時に被ばくした小児の甲状腺がんの発生率が大きく増加していることを除けば、事故による放射線被ばくに起因した一般住民の主な健康上の影響に関する証拠はない。放射線被ばくが原因とされる全般的ながんの発生または死亡の増加はない。主要な懸念事項に一つである白血病のリスクの上昇は、復旧作業者間においても確認されない(白血病は、放射線被ばくの後、短い潜伏期間で現れてくる最初のがんである)。さらに、放射線被ばくに関連する他の悪性でない障害についえても、その科学的証拠は一つとして確認されていない。” JCO事故もそうであるが、チェルノブイリ事故は世界を騒がせた大事故で、人々は放射線の他に深刻な社会的なストレスを受けたと考えられる。心身医学と言う言葉からも推測されるように、人の健康状態は精神的なストレスに大きく左右される。このような放射線以外の複雑な要因が重なって健康に障害が現れるのであろう。ではその中で放射線はどれだけの役をになっているのだろうか。それをどうしたら決めることが出来るだろうか。その基礎は約100年におよぶ放射線影響の研究成果でなければならない。その詳細をここで述べるのは適当でないので省略するとして、上に紹介した国連科学委員会報告も当然それに基づいている。ただ問題はこのような事故の時に心理的なストレスなどはそれを測ることなどとても難しくて出来ないが、放射線だけは今度のJCO事故でも分かるように専門家の努力で可成りの推定が可能であるという点である。なまじっか数値として示される為にそれが一人歩きして、すべてがそのせいにされやすいというのが実状であろう。現に今後の検診の対象が線量によって決められたところに既にその問題が現れている。本当は心身医学の専門家などを加えて精神的なストレスの状況なども加味して検診の対象を決めるべきであろう。そのようにしてこそ放射線が総てではないことを初めて理解させることが出来る筈である。私がさきに科学者のなかにもいささかの混乱があると言ったのは、このことである。 では、人でこのようなストレスがない条件で低線量の放射線の影響を直接調べることが可能であろうか。それが私達が永年やってきた高自然放射線地域住民の健康調査である。われわれが日常受けている放射線に対して、中国ではその2〜3倍、インドでは5〜10倍、イランではもっと高いものを日常受けながら何世代にも亘って人々は元気に生活している。放射線が高いことは最近の測定で分かったことで、人々はそこでの生活に何の不安も感じていない。そこでの住民の健康状態を調べれば精神的なストレスなどの影響を受けないで純粋に低線量の放射線の影響を知ることが出来る筈である。この10月に日本の放射線影響研究誌 Journal of Radiation Research の特集号に中国の研究成果を発表するが、1979年から1995年に亘る約8万人の追跡調査でがん死亡率の増加はみられなかった。今国際共同研究としてインドでも同様の調査を行っているが、それらを積み上げることによって純粋に放射線の影響を明らかにしていくことこそ大切ではなかろうか。勿論これと共に検診の対象のところで論じたように、事故の心理的、経済的、社会的影響についての研究が大いに発展することが必要なことは当然である。それによって初めて今のように何もかも放射線のせいにされる間違いがなくなるだろう事を期待したい。
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