2000.4.25
 
「環境と健康」 Vol.13 No.2 April 2000
Editorial

放射線とのつきあい方をみんなで考えよう
菅原 努
 

 

 これはこれからの放射線防護のあり方を検討した結果到達した私の結論です。その検討の経過は別に本誌に「論説」として掲載しました(環境と健康、13:53-62, 2000)のでご参照下さい。

 放射線防護というと国際放射線防護委員会ICRPが基準になりますが、そこでは今の世界では放射線を避けて通ることは出来ないとしてそれを安全に取り扱うことを目指しています。その努力にもかかわらず一般には放射線に対する怖れが避けがたくあり、それが放射線の有効利用をも妨げ勝ちです。何故そのような意図と違うことが起こるのでしょうか、ICRPはその点に十分な配慮をしているようには思えません。どんな微量でもリスクがあると言うのは、職業人に注意を促すのには役に立ちますが、同じ事を一般公衆に言うとそれはただ怖れを抱かせるだけではないでしょうか。その点で職業人の防護から出発した体系をそのまま公衆に適用している点に根本的な問題があると思います。

 1972年にWeinbergが低線量リスクの問題はトランス・サイエンスであって科学だけでは解けないことを指摘しています。このことは30年近く経った今も真実だと思います。彼はそこで科学者のなすべきことを示しています。それは科学の限界を明確にすること、そして科学でリスクを減らす努力をすること、であり、そこでは科学者も政治家、規制担当者、一般公衆などと同じ土俵で話合うべきだと言うことです。

 そこで低線量でのリスク・アセスメントが問題になるわけですが、最近社会心理の権威であるSlovicがこのリスク・アセスメントを専門家の独壇場とするべきではなく、市民参加のリスク・アセスメントこそ必要であると主張しています。彼の“Danger is real, but risk is socially constructed.”(危険は真実である、しかしリスクというのは社会的に作られたものである。)という言葉を噛みしめて見なければならないと思います。ここでは市民参加が欠かせないことがはっきりと示されています。

 今までICRPは放射線取り扱い者に対して決めた線量限度という言葉を明確に定義をしないで一般公衆にも使ってきました。これが昨年のJCOの事故などでも住民の被曝について混乱を起こす一つの原因ではなかったかと考えられます。それを避ける為に私は一般公衆の安心出来る為の制限線量という新しい概念をみんなで考えることを提案したいと思います。今までの線量限度はそのリスクが許容可能かどうかということが基準で決められたものですが、制限線量というのは安心を確保するための条件として決めようと言うものです。丁度自動車の速度制限のように高速道路や市内の道路ではそれぞれの制限速度があり、住宅団地の中では時速10kmといった極端な速度制限が行われていることから連想したのです。皆さんが家から出て安心してのんびりと道を歩きたいとしたらどんな速度制限を希望しますか。今の時代車は全廃しろと主張する人はいないでしょうから、適当な制限速度を決める必要があります。

 同じように放射線についてもみんなで考えようということです。私達のまわりには自然放射線がありそれが場所によって随分と違います。しかし普段はそんなことは全く気にしないで生活しているのです。そのデータを提出するのは専門家の役割です。またそのことを考えて私達は世界の高自然放射線地域の住民の健康調査をしています。勿論この他に現在のリスク・アセスメントの状況についても議論する必要があるでしょう。

 具体的にどのように議論を進めていくかはこれからの問題ですが、いままでのように専門家まかせで職業人を護る為ではなく、市民の皆さんの為の防護のシステムを考えて行く必要であることを強調したいと思います。