1999.12.16
 
「環境と健康」 Vol.12 No.6 December 1999
Editorial

放射線防護体制の確立を
菅原 努
 

 

 東海村の臨界事故があってから、多くの情報が飛び交う中をあえて二度ほど私見をホームページに披露しました。そこでは主に新聞の記事を中心として論じましたが、余り新聞にも出ず論評もされていないものに、海外からの批判があります。私は何時もみているNature、Science、New Scientistの3冊について注意深く追跡してみました。この中でScienceは状況を報じただけで別に論評らしきことはしていませんでしたが、あとの二つは可成り痛烈に批判をしていました。勿論私達が見ても全くどうして今頃こんなことが、と思われるような事態ですから、外国から批判されるのは当然です。しかし、私の気づいている限りでは国内では全く論じられていないで、外国からのみ論じられている点があるのが、大変気になります。

 先ずNatureはその社説で「安全規制の不備がもたらす危険」という題で、原子力安全委員会のありかたに問題があることを批判しています。「原子力安全委員会が非常勤の学識経験者によって構成され」といっている点は委員自身には常勤の人がいますが専門委員は全部非常勤であることは事実で、これらをふまえて根本的に日本の規制の体制に問題があることを指摘しています。この不備は原子力あるいは科学技術庁だけに限らない、として製薬業界の規制監督においても見られ、それでかつては非加熱血液製剤のような有効性が疑問視される薬剤あるいは明らかに危険な製品の市販が許可されるに至った、としています。

 さらに、「日本政府は、十分なスタッフと専門的知識を伴った実効性のある規制機関を設立することができないように思われる」とまで言っています。この点は今更指摘されるまでもなく、私を含め多くの人がかねてから、今の原子力安全委員会の無力さを嘆き訴えてきたところです。しかし、その後に発表される政府の今後の対策のなかには、安全委員会の拡充改組について論じたものは見られません。私はかつて安全委員会の下部の部会で研究計画を企画したことがありますが、どんな研究が必要かを検討しろという使命でしたが、その計画を取り上げる権限は安全委員会にはないと聞いて一同大いに気をそがれたことがあります。委員の専門的スタッフに至っては皆無に近く、知り合いの安全委員に、私の方が先生よりスタッフをちゃんと持っていますよ笑ったことがあります。政府はNatureの指摘にきちっと答えてほしいものです。

 New Scientistはもっと技術的なことを指摘しています。ロシヤとカザフのような国を除いては、今頃高度に濃縮したウランを取り扱うのに湿式(水に溶かした状態で取り扱うこと)でやっているところはない、と指摘しています。湿式はそれだけ臨界の危険が高いと見ているのです。この点も国内では余り議論されているようには思えません。これも安全より経済優先のせいでとしたら、問題ではないでしょうか。

 こんな状況の下で、この12月始めにアメリカで行われる「放射線政策と科学の橋渡し」国際会議International Conference on "Bridging Radiation Policy and Science" に出席して話をすることになりました。これは表題のようなことを論じる為に科学者だけでなく、規制当局と政治家もまじえて論じることになると聞いています。そこで先ず気になることは我が国には一体放射線政策なるものがあるのだろうか、ということです。

 我が国には原子力政策はありますが、放射線はそれだけではすみません。放射線分野では今われわれの周辺にある種々の放射線(低線量)の影響が問題になっています。これらは国連の原子放射線の影響に関する科学委員会(国連科学委員会)でも取り上げており、また日本放射線影響学会も今年の学会での声明でも、「その主たる線源は、原子力のエンルギー利用、放射性廃棄物、放射線医療、飛行環境等」としています。放射線の利用と規制、安全基準などを決めていくのが政策だと思いますが、我が国ではほとんど総て国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を取り入れると言う形で行われ、自分で問題点を検討したことがありませんでした。

 私はかねて、我が国にも放射線防護委員会に相当するものを作るべきだと主張し、努力をしましたが、遂に実らないまま今日になってしまいました。一つの障碍は放射線審議会というのがあることでした。形の上では此処が我が国での放射線政策の決定あずかると思えるのですが、実際は国際放射線防護委員会の勧告を如何に我が国に取り入れるかを審議するところで、決して独自に放射線政策を審議するところではありません。ということは我が国には制度として独自に放射線の活用もその防護も考えるところはないということです。私はせめて科学者の有志の組織としてでも放射線防護を独自に考えるものを作りたいと努力しましたが、みんなが引っ込み思案でまとまりませんでした。これは私達科学者の問題ですが、今の我が国の制度もその障碍になっていることも否めません。

 今度の会議はICRPよりももっと広い範囲の人達が集まって議論し、科学と政策との合意点をさぐろうとするものであると思います。勿論私達はそれぞれ個人の立場で参加するのですが、我が国のなかで科学を論じたことはあっても、放射線政策まで論じたことがないので、全体を見渡した意見が出せるか心配です。科学者として重要な研究課題を指摘し、その上で結論をと言いたいところですが、現実は今の知識のままでも何らかの方針を決めなければならないでしょう。こんな時には我が国からも、規制担当者や政治家も参加しそれぞれの意見を述べてほしいものです。しかし、残念ながら、我が国では科学者の会議は科学者だけ、その他もそれぞれだけで十分な交流の機会がないままに今に至っています。今度の会議の報告では是非そのことを良く見てきて指摘し、改善を訴えたいものです。その上で先に述べた我が国としての放射線防護委員会を作る方向を目指したいものです。

参考:

追記:
 この原稿を11月末に書いた後に、文中にあるアメリカでの国際会議に出席をして来ました。そこでの議論と、そこに参加しておられた松原原子力安全委員との話をもとに2点ほど追加しておきたいと思います。

  先づ原子力安全委員会の充実については、一応それなりの予算措置が考えられていると言うことをききました。それは大変喜ばしいことですが、それが本当に有効なものになるよう欧米のあり方なども検討して目を見張るようなものが出来ることを期待しています。

 次に放射線防護委員会の件ですが、この会議の結論として放射線安全政策としては国際的調和を(英語ではharmonization, consistency, coherent policyと微妙な表現の違いで議論が分かれていましたが)求めていこうという方向になりました。ところが十分な議論もなく問題が残ったと考えられたのはむしろ科学的なリスク評価ことに低線量のそれでした。この点で国民のコンセンサスも得られるような開かれた透明な検討の組織が、我が国として必要であることを痛感しました。すなわちアメリカのBEIR(放射線生物影響)委員会に相当するものです。これが出来れば我が国だけでなく、世界への貢献も著しいものがあるでしょう。

(平成11年12月8日記)