高齢化社会の進行と共に医学的、社会的難題として認識されつつある多くの疾患の一つに、癌が含まれる。わが国では、癌による死亡数が増え続け、今や国民の3人に1人以上が癌でなくなっている。特に肺癌、大腸癌や乳癌による死亡数は増加の一途をたどり、また、多くの場合遠隔組織への転移が直接的あるいは間接的にその死因に関わっている。化学療法をはじめとする癌に対する近代医学の進歩にも関わらず、依然として再発・転移による死亡を阻止することが難しく、克服すべき大きな課題となっている。さらに、合成医薬品のもたらす劇的な治療効果に対して、その重篤な副作用(免疫抑制あるいは毒性など)が逆に疾患の完治あるいは根絶を困難にしている。QOL
(Quality of Life:生活の質あるいは生活の輝き) の概念の確立とともに、生体と癌が首尾良く共存・共生しようとする考え方もある一方で、これに対応すべく癌治療への新たな方法論や方向性を導入する動きがある。こうした現状のなかで、漢方薬などの伝統薬物、いわゆる天然薬物への社会的関心や期待から、これらを用いた基礎的及び応用研究が活発に行われつつある。
臨床における漢方方剤は、術後の全身状態の改善あるいは放射線照射・化学療法による副作用の軽減などを目的に使用されている。最近では、癌治療の免疫応答修飾剤
(Biological Response modifie, BRM) の一つとして漢方方剤が注目され、数多くの報告がなされている。なかでも、十全大補湯、補中益気湯あるいは人参養栄湯を含む補剤は、免疫賦活作用を有し抗腫瘍・抗転移効果を発揮する漢方方剤として知られている。
はじめに
正常な細胞が癌化して遠隔組織へと転移するまでの過程は、便宜上、三つに分けて考えられる。複数の遺伝子の変異が積み重なることによって正常細胞が癌化する<発癌>過程、さらに発癌と同様に遺伝子の変異を受けることによって、当初できた癌細胞がより悪性度の高い癌細胞に変化していく<悪性化進展>、およびその中から、ごくわずかな細胞が遠隔組織へと<転移>する過程である。本稿では、癌細胞の悪性化進展および転移に及ぼす漢方方剤の効果とその作用機構について紹介する1−7)。
十全大補湯および関連方剤4、5)
十全大補湯は,『大平恵民和剤局方』に1151年に初めて収載された処方であり,10種類の生薬を配合した漢方方剤である。川きゅう、当帰、地黄、芍薬で構成される四物湯と蒼朮、人参、茯苓、甘草を含む四君子湯に、黄耆と桂皮を加えて、気・血・陰・陽のバランスをとるように配合され(表1)、古くから病後、術後あるいは慢性疾患などで全身倦怠感が著しく、顔色不良で食欲不振の傾向がある場合に有効とされてきた。また、その関連方剤として、人参養栄湯、補中益気湯、四物湯及び四君子湯などの構成生薬を表1に示す。方剤に含まれる構成生薬について,採取した時期、原植物の由来や使用部位、調製方法あるいは煎じ方などの違いにより、含まれる成分やそれに基づく効果あるいは活性発現に違いが出てくることが考えられる.したがって、できるだけ一定の効果を得るため、漢方方剤のHPLCパターン分析、すなわちfingerprint解析をすることにより(図1)、常に一致あるいは類似したパターンの処方を確認して用いることが望まれる。
経口投与による癌の悪性化進展の抑制1)
C57BL/6マウス線維肉腫より分離したQR-32退縮型癌細胞が、正常同系マウスに皮下あるいは静脈内移植すると自然退縮するが、異物であるゼラチンスポンジと同時に皮下移植することにより、致死的増殖性を獲得した癌細胞に不可逆的に変換する実験モデルを用いて、十全大補湯の経口投与により増殖型への悪性化変換が阻止された。悪性化を促進する因子として宿主反応細胞が注目されるが、この宿主反応細胞から放出されるオキシラジカルやサイトカイン・増殖因子が悪性化進展を促進する要因のひとつであることが推察される。いくつかの生薬あるいは漢方方剤にラジカルスカベンジャー作用があることが報告されており、十全大補湯の構成成分である桂皮にも強力なラジカルスカベンジャー作用があることが明らかになっている。したがって、悪性化進展に及ぼす十全大補湯の抑制機序のひとつとして、腫瘍組織での悪性化の促進因子としてのオキシラジカルなどをスカベンジャーする作用が関与していると推察される。
経口投与による癌転移抑制効果2)
十全大補湯をcolon 26-L5結腸癌細胞の接種前の7日間、経口投与した群は、用量依存的に顕著に癌細胞の肝転移を抑制した。さらに十全大補湯(40
mg/day)を投与した群では病理組織学的に微小転移もほとんど認められず、有意な生存期間の延長が観察された。陽性対照のシスプラチン投与群の活性は顕著であるが、著しい体重の減少を伴い、50%のマウスが死亡するという重篤な副作用を示したのに対して、十全大補湯投与群では、そのような副作用はまったく認められなかった。このことから、転移の予防あるいは防止に十全大補湯を長期間投与することが可能であると考えられる。
十全大補湯および関連方剤による癌転移の抑制機序および構成処方の役割2,5)
生体防御機構をつかさどる免疫担当細胞のなかでも代表的なNK細胞、マクロファージ、T細胞を、それぞれ除去あるいは欠損したマウスを用いて検討した結果、十全大補湯の経口投与による肝転移の抑制効果の機序として、NK細胞が介在した様式ではなく、マクロファージを介してT細胞が転移抑制する経路、およびマクロファージが直接的にエフェクター細胞として作用して抗転移効果を示すことが考えられた。
十全大補湯は、四物湯と四君子湯に黄耆と桂皮を加えた処方であることから、四物湯と四君子湯について転移抑制効果を検討した結果(効果のある方剤は表中に網掛けしている)、四物湯(表1中の四つの●で示した生薬を含む)は有意な抑制効果を示したが、四君子湯(表1中の四つの▲で示した生薬を含む)では全く効果が認められなかった(図2)。さらに、関連処方として、四物湯と黄連解毒湯の合剤である温清飲も転移抑制効果を示したことから、十全大補湯の転移抑制効果の発現には、補血作用(血虚を改善する作用)を有する四物湯の処方が活性発現に重要な働きをしていることが示唆された。
さらに、人参養栄湯及び当帰芍薬散は転移抑制効果が認められなかった。人参養栄湯は、効果を示さなかった四君子湯処方に加え、四物湯の処方の中で川きゅうを欠いた構成生薬を含んでいること、当帰芍薬散は四物湯の処方の中で地黄を欠いた構成生薬を含んでいることから、抑制効果が認められないと推察される。そのことは川きゅう及び地黄が効果の発現に重要な役割を演じている可能性が考えられた。
一方、四物湯の処方(特に川きゅうと地黄)を含まない補中益気湯も明かな転移抑制効果を示した。上記と同様に、免疫担当細胞を除去あるいは欠損したマウスを用いて検討した結果、補中益気湯による転移抑制効果は、明らかに十全大補湯の場合と逆の抑制機序、すなわち主としてNK細胞を介した経路が関与していることが示された。このように多成分系の漢方方剤(たとえば十全大補湯および補中益気湯)が異なった作用メカニズムを示すことが明らにされることにより、漢方薬による分子標的治療も可能であると推察される。また、従来から指摘されているように、漢方方剤の効果発現にどの単一有効成分が、どの組み合わせの処方が関わっているかなどを明らかにするための分析・解析手法を確立することも、複雑系の漢方方剤を扱う上で重要な課題と思われる。
漢方方剤の効果発現は体質あるいは臓器選択性と関係しているか?7)
表1の網掛けで示した他の方剤と同様に、十全大補湯はBALB/cマウスミ結腸癌の肝転移系では有効性を示したが、C57BL/6ールイス肺癌の縦隔リンパ節転移の異なった実験系ではほとんど効果が認められない。一方、人参養栄湯及び当帰芍薬散は表1で効果が認められなかったが、このC57BL/6ールイス肺癌の転移病態モデルにおいて明らかな転移抑制効果を示した。この結果の違いの一つとして、用いたマウスの系統差あるいは体質(responder/non-responder)における漢方薬の効果の違いに基づく可能性が示唆される。たとえばBALB/cおよびC57BL/6マウスは、Th1およびTh2細胞由来サイトカイン(IFN-γあるいはIL-4)がそれぞれ優位に発現していることが知られていることから、漢方薬の効果とTh1およびTh2バランスとの関連性を反映しているかもしれない。
同一の結腸癌細胞を同系のマウスの門脈内移入あるいは尾静脈内移入により形成される肝転移および肺転移に対して、十全大補湯および人参養栄湯の抑制効果が明らかに異なり、十全大補湯は肝転移に対して有意に抑制したが、肺転移には抑制効果を示さなかった。これに対して、人参養栄湯は逆の効果、すなわち肝転移には効果を示さなかったが、肺転移に対して有意な抑制を示した(図3)。このように、二つの方剤の臓器選択的な転移抑制効果が観察された解釈として、興味あることに、13世紀に確立された中医学の経絡論theory
of Jing and Lun(引経報使)の考えに、部分的に通ずるものがあると思われる。十全大補湯は肝胆経に、あるいは人参養栄湯は肺経に作用する生薬(それぞれ川きゅうあるいは五味子、陳皮、遠志)を含んでいることが病態の改善と関係していると推察される。
現行の治療と漢方方剤との併用による転移抑制効果の増強6)
ヒト腎細胞癌に対してインターフェロン治療が行われているにもかかわらず、奏功率が低いため、より有効な治療法の開発が望まれている。マウス腎細胞癌の肺転移モデルを用いて、十全大補湯とインターフェロンーαの併用効果を検討した結果、明らかに各単独投与群と比較して有意な肺への転移抑制効果の増強とインターフェロンーαによる副作用の軽減が認められた。
おわりに
漢方薬は経口摂取が長期間可能であり副作用がほとんどみられることなく、生体内調節機構を巧みに利用しながら恒常性の維持さらに病態の改善に有効な治療薬であると思われ、BRMとしての役割がさらに注目されるものと考えられる。今後、基礎・臨床の両面での研究の発展が大いに期待される。
関連文献
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2) Ohnishi Y., Fujii H., Hayakawa Y., Sakukawa R., Yamaura T., Nunome
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Juzen-taiho-to inhibits liver metastasis of colon 26-L5 carcinoma
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3) Ohnishi Y., Yamaura T., Tauchi K., Sakamoto T., Tsukada K., Nunome
S., Komatsu Y. and Saiki I: Expression of anti-metastatic effects by
Juzen-taiho-to is based on the content of Shimotsu-to constituents.
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4) Saiki I., Yamaura T., Ohnishi Y., Hayakawa Y., Komatsu Y. and Nunome
S.: HPLC analysis of Juzen-taiho-to and its variant formulations
and their antimetastatic efficacies. Chem. Pharm. Bull., 47:
1170-1174, 1999.
5) Saiki I.: Review: A Kampo medicine "Juzen-taiho-to"
- Prevention of malignant progression and metastasis of tumor cells
and the mechanisms of action -. Biol. Pharm. Bull., 23: 677-688,
2000.
6) Muraishi Y., Mitani N., Yamaura T., Fuse H. and Saiki I.: Effect
of interferon-αA/D in combination with the Japanese and Chinese traditional
herbal medicine Juzen-taiho-to on lung metastasis of murine renal
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7) Matsuo M., Tani T. and Saiki I.: Organ selectivity of Juzen-taiho-to
and Ninjin-yoei-to in the expression of anti-metastatic efficacy.
J. Trad. Med., submitted, 2002.
表1 十全大補湯及びその関連方剤
BALB/cマウス - 結腸癌の肝転移の抑制効果を示した方剤:■
図1 十全大補湯のHPLCパターン分析4,
5)
図2 マウス結腸癌細胞の肝転移に及ぼす十全大補湯、
四物湯および四君子湯の抑制効果2, 5)
図3 癌転移に及ぼす漢方方剤の臓器選択的な抑制効果の解釈
(中医学の経絡論に基づいた引経報使の考え)7)
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