1.はじめに
食文化は人類の長い歴史の中で培われてきた.センサは五感を再現,そしてそれを超えることを目的としており,人のもつ主観的かつあいまいな感覚を定量化することを目指すものである.近年の科学技術の発展にともない,センサは視覚・聴覚・触覚(光・音・圧力)といった,単一の物理量を捉えるものから,味覚や嗅覚を含めた総合的情報を捉えるものへと要求が高まってきている.五感の中でも味覚や嗅覚は,現時点でも多分に主観的・生物的感覚といえよう.
しかし科学の発展の歴史が「主観的量」を「客観的量」で表現する計測技術の発展とともにあったことを思うと,味覚や嗅覚もその例外ではないであろう.事実,時間や長さの定量化については,エジプト時代にもさかのぼる歴史をもっているが,これらも当初は多分に主観的量であったはずである.これまで味覚の世界は人の主観が支配していた.しかしながら,この状況はここで紹介する味覚センサの登場で大きく見直す時期にきている[1-5].
2.味覚センサ
味覚センサは脂質/高分子ブレンド膜を味物質の受容部としている.これは舌の細胞の生体膜が脂質とタンパク質からできていることに着目し,その構成成分の一つである脂質を実際に利用できる形で作り上げたものである.既にアンリツ(株)より味認識装置SA401,SA402として市販され,各地の食品,医薬品関係の会社,研究所,試験場,大学で使われている.なお,アンリツ(株)味センサーグループは,2002年に独立し,味覚センサの開発,製造と販売に特化した(株)インテリジェントセンサーテクノロジー(略称,インセント)を設立するに至っている.
脂質膜電極はポリ塩化ビニルの中空棒にKCl溶液と銀・塩化銀線を入れ,その断面に脂質/高分子膜を貼りつけたものである.特性の異なる膜を7つ(または8つ)準備し,脂質膜電極と参照電極との間の電位差を計測し,これら複数の出力電圧により構成されるパターンから味を識別・認識する.
味覚センサを使って5つの味の識別が明瞭にできる.注目すべきは,5つの味に対しては異なる応答パターンを示すのに対し,似た味では似たパターンを示すことである.例えば塩味を呈するNaCl,KCl,KBrでは似たパターンを示し,うま味を呈するグルタミン酸ナトリウム(MSG),イノシン酸ナトリウム(IMP),グアニル酸ナトリウム(GMP)でも同様に似たパターンを出す.この事実は,味覚センサに必須の条件を満たしていること,すなわち「個々の味物質ではなく味そのものに応答」していることを意味する.
3.食品への適用
ビールを測定した結果,各種ビールが異なる電位応答パターンを示した.あらかじめこれらのパターンを覚え込ませておくと,未知のビールを測定して銘柄を当てることも容易である.
またセンサ出力に主成分分析を施すことで,テイストマップ(味の地図)を作ることができる.主成分分析とは多次元の情報を少数次元で表現する統計解析の一手法であり,今は8次元からなるセンサ出力を2次元の空間で表したいわけである.ビールのテイストマップは,右方向に「さわやかな味」,左方向に「こくのある味」,上方向に「刺激的な味」,下方向に「まろやかな味」という官能表現からなる.
さらに,アルコール濃度やpH, Bitter (BUs) などの分析量とも高い相関を示した.味覚センサはビールのロットの違いを容易に識別できるほどの高い識別能を持つが,このように種々の分析値の測定や官能表現の定量化が行えるわけである.
ミネラルウォーターを味覚センサで測り,主成分分析をすることでテイストマップを得ることができる.第1主成分(横軸)はほぼ硬度を反映した.またテイストマップを上にいくほど1価イオン濃度が高く,下にいくと2価イオン濃度が高くなる.従って図の上方がソルティー,下方がビターといえる.
同時に官能検査も試みられたが,硬度が低い左半平面では再現性のある味の表現ができず,たかだかテイストマップの右と左の離れた位置にあるミネラルウォーター同士の識別がついた程度であった.その意味において味覚センサは,人が再現よく表現できない味を定量化でき,すでに人の舌の感度を超えている.
この結果は,味覚センサが水質モニタ用センサとして使えることを示唆している.これまでの水質検査は特定の汚染源に的を絞って,原因を探るという本質的に後追い検査であった.しかし,人が水を口にする前に水質の安全性を迅速に判断するセンサは事故の未然防止のために必須のものである.味覚センサは不特定多数の化学物質を検出できるため,本質的に簡易・迅速リアルタイム計測が可能である.
4.展望
食品の「おいしさ」は,多くの因子を含む複雑な感覚である.しかし,少なくとも舌で受容される化学的な味については客観的に判定できる方法がないと,いつまでたっても味の文化は成長しないであろう.もちろん,味細胞で受容される狭義の味を定量化できたからといっても最後に好き嫌いを決めるのは私たち人間である.しかしそれにしても,味に関する共通の定量的言葉は他の感覚同様必要である.長さはものさしで何cmといった具合に非常に簡便に測ることができる.時間も同様であり,主観的時間と客観的時間が見事に共存している.味覚センサは味にものさしを与えるものである.
味覚センサの創る味の楽譜(食譜)は「売れるおいしさ」作りの指針を与えることも可能である.このデジタルレシピを使えば,地球の裏側でも同じ味の再生が行える.まさしく時間と空間を超えた食文化の到来である.
生物は外界を認識するセンサ(五感)を有しているがゆえに,この地球上を謳歌した.しかし,人間は自分の五感ではもはや検知,制御できないほどの力や物質を得るに至り,今度はそれらを認識,制御できる人を超えたセンサを必要としている.ここで述べた味覚センサはその新しい技術の萌芽である.私たちはいまや,長さや時間の尺度が発明されたあのエジプト時代に相当する食文化の黎明期に入ろうとしている.
(参考文献)
1) 都甲 潔:味覚を科学する,角川書店 (2002)
2) 都甲 潔:旨いメシには理由がある,角川書店(2001)
3) 都甲 潔(編著):感性バイオセンサ,朝倉書店(2001)
4) K. Toko: Biomimetic Sensor Technology, Cambridge Univ. Press (2000)
5) 都甲 潔(編著):食と感性,光琳(1999)
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