2001.10.29
 

 平成13年健康指標プロジェクト講演会要旨

第26回(11月17日(土) 14:00〜17:00、芝蘭会館)
疾病を予防する遺伝子組換え食品

村田 幸作
(京都大学大学院農学研究科)
 

 

1. はじめに
 遺伝子組み換えは、任意の生物の遺伝子を他の生物に導入することを可能にした。その結果、作物育種においては、種内に限定されていた育種の範囲が種間にまで拡大され、同時に育種時間の大幅な短縮と精度の高い育種が現実のものになった。この技術を利用して、これまでに様々な遺伝子組み換え作物(注意:「遺伝子組み換え作物」から作製される食品を「遺伝子組み換え食品」というが、本稿では両者を区別せず、遺伝子組み換え作物として一括表記した)が作製され、既に、その幾つかは食糧として利用されている。これらは、高収穫性や加工性、健康の維持を意図したものであり、近い将来に懸念されている食糧不足の問題の軽減にも効果が期待できる。
 しかし、「遺伝子組み換え作物」について、依然として「危険性」が想定され、健全な社会的受容態勢が確立されるまでには至っていない。遺伝子組み換え作物に関して指摘される危険性の問題は、主としてアレルギーと生態系への影響に集約することができる。過去にブラジルナッツに関してアレルギー問題が取り沙汰されたが、それは適切に回避された。安全性評価のシステムがうまく機能した事例である。最近では、未認可の組み換えトウモロコシや組み換えジャガイモの食品への混入が問題となった。これらの作物には、Bt毒素(害虫を死滅させる)を作る細菌の遺伝子が導入されている。Bt毒素はその安全性が確認されてはいるが、消化酵素で分解され難いという結果もあるようである(実験条件の問題かも知れない)。環境への影響に関しても、これまでに種々の問題点が指摘されてきた。新規ウイルス発生の可能性、遺伝子流出に伴う生態系撹乱の危険性、更には病虫害抵抗性作物による昆虫への悪影響などである。これらの問題は、結果の拡大解釈などによって必要以上に危険性が誇張された傾向もあるが、Bt毒素を大量に発現させた場合など極限的な状況においてはそれを否定することもできないであろう。
以上のような問題点は、遺伝子組み換え作物の作製に関して、「設計」段階における安全性評価と設計後の「健康」及び「環境」に対する安全性評価の重要性を示唆しており、遺伝子組み換え作物の作製の初期においては、「作るプロセス」の安全性と「作られた物」の安全性が論議された経緯がある。分子生物学に基礎をおいた「作るプロセス」には、予測される危険性はないとされた。「作られた物」に関しては、不確定な要因も含めて、様々な観点からの論議が続いており、遺伝子組み換え作物(生物)の環境に対する安全性に関しては、“環境への悪影響を科学的に示すことができない”場合であっても、つまり極言すれば推定であっても、環境への影響を防止する観点から「予防原則」の方針が国際的に決められている。本稿では、主に健康への安全性に焦点を当てて、その現状を考えて見たい。

2. 安全性評価
 現在、実用化されている遺伝子組み換え作物の大半は、細菌の遺伝子を導入して除草剤耐性や病虫害抵抗性など自然環境に強い性質を賦与したものである。このような食糧の増産を目的とした遺伝子組み換え作物は、限られた耕地や不毛地の拡大利用のみならず、最終的には人口増加(注1)による食糧不足の緩和に繋がる。また、かかる作物の育種法とその実際的な使用の発展途上国へ供与は、発展途上国の自立的な食糧生産を促す上でも重要である。
 食糧の増産を目的とした作物の育種と併行して、薬理性や栄養性の高い遺伝子組み換え作物の作製も進んでいる。特に、高血圧や糖尿病などの生活習慣病や細菌・ウイルス感染症の予防効果を目的とした作物(「植物ワクチン」)、或いは栄養性の高い作物は、消費者に直接的な効果を約束するものである。カロテンを高い濃度に含む遺伝子組み換えコメは、世界に3億人とも4億人とも推定される夜盲症や発育不全などビタミンA不足症の存在を考えると、安全性に関わる諸問題を考慮しても、尚余りある価値を有するであろう。我が国でもタンパク質工学、代謝工学や免疫システム工学を応用して、様々な性質を持つ遺伝子組み換え作物の作製が進んでいる。現在、遺伝子組み換え作物への消費者の抵抗感には根強いものがあるが、遺伝子組み換え作物の利点にも多くの考慮が払われるべきであろう。この技術的潮流は、ゲノムサイエンスの進展と相俟って、予防のみならず、治療効果すらも期待できる高度に医学的な作物の育種に発展し、食糧科学が医学分野に大きく浸透する一大契機を提供している。各個の将来的疾病を事前に回避する機能を有する「遺伝子適合性食品」の創成も始まっている。しかし、こうした遺伝子組み換え作物は、その安全性評価の基準すら確定しておらず、一部の研究者によって、医薬品に準じる高度な安全性評価の必要性すらも主張されているのが現状である。
 大豆のグリシニン遺伝子をコメに導入して、血清コレステロール値低下能のある生理機能性の高いコメが作製された(京大・内海ら)。筆者らは、この遺伝子組み換えコメの安全性を詳細に解析し、その安全性を確認した。評価の方法は、基本的には、安全性評価に指針を与える「実質的同等性」の概念(注2)に準じるものであるが、慢性毒性試験を含めた徹底した評価を加えた。従来の遺伝子組み換え作物の安全性評価では、その殆どが急性・亜急性毒性までしか検討されていないため、筆者らの評価は世界でも最も詳細な部類に入るであろう。この安全性評価において、催奇形性や発ガン性の試験は行っていない。安全性評価を何処まで行うかは、上述のように議論の分かれるところであるが、作製された遺伝子組み換え作物の機能に応じて、また動物試験結果の内容に応じて何処まで評価するかを決定すればよいであろう。ただ、動物実験による評価を行うことによって、如何なる評価が妥当であり、そのために如何なる学術の導入が望まれるかなど、多くの知見が得られることを主張しておきたい。実際、遺伝子組み換えコメの安全性評価によって、潜在的アレルゲンなど細胞有害物質の変動の問題(名大・松田ら)、遺伝子導入部位の制御不能によって生じるタンパク質の消失と出現の問題、或いは動物実験における投与法の問題など、今後の研究に有用な多くの知見が得られた。特に、遺伝子組み換え作物の動物試験においては、食品添加物の安全性評価で採用されている方法論は、必ずしも“食品そのもの”の安全性評価としてそぐわない部分がある。
 安全性の評価の基準である「実質的同等性」の概念が、安全性評価において一定の機能を果たしていることは歪めないが、この概念が規定する内容で遺伝子組み換え作物の安全性が保証されるか否かは議論の余地があろう。健康への安全性評価は、常に科学の進展に沿うものでなければならず、絶えずその評価基準の刷新に努めることも重要である。

3. 安全性から信頼性へ
 遺伝子組み換え作物の問題は、単に安全性の問題に止まるものではない。そこには、科学技術を如何にして社会に導入するかという、科学技術全般に関わる問題が存在している。科学技術の多くは、基礎研究から応用研究を経て社会に導入されてきた。遺伝子組み換え作物も、その例に漏れない。我が国においても、突然、除草剤耐性大豆が社会に導入され、その何たるかを十分に理解することもなく摂取したのである。また、その時点において、メディアも食糧を扱う学会も適切なコメントを出すには至らなかった。
 科学技術は如何にして社会に導入され、人類の福祉と幸せに生かされるべきなのか。科学は、常に正しいのか。狂牛病、ヤコブ病、HIVや新興・再興細菌感染症、更にはバイオテロによる炭そ菌の核酸など様々な環境問題や医療問題の生起に鑑みて、従来の科学技術の社会への導入が、その方法において適正であったか否かの検証が迫られるであろう。基礎研究、応用研究の次の段階として、『予測研究(俯瞰的研究)』の重要性が認識されてきている所以である。遺伝子組み換え作物に例を取るならば、除草剤耐性作物の特性とそれに対する栽培者の意識を分析し、その栽培を続けることによって鳥類が激減するであろうという予測や、作物に蓄積させるべき脂溶性ビタミンの量の上限(安全域)の予測などによって、環境と健康への被害を最小限に抑えることができる、信頼性の高い遺伝子組み換え作物育種への研究も行われているのである。

4. おわりに
 食糧問題は、経済、政治、貧困、地域性や民族性など、そこに関わる膨大な人間活動の所産として歴史の中から出てくるものであり、それ故にそれは好んで学際的である。遺伝子組み換え作物の安全性は、多くの科学領域の協力の中でのみ解決され、保証されて行くものである。15〜16世紀の医師であり錬金術師でもあった「独自で活動し、誰の下僕でもない男」パラケルスは、『毒でない物が存在するのだろうか。全ての物が毒であり、毒とならない物はない。毒でなくするものはただ量だけである』と喝破した。毒物学の巻頭によく引用される言葉である。如何なる作物と雖も、どれ一つとして安全なものなどないのである。ましてや、その安全性を科学的に100%保証することもできないのである。ならば、何処に安全性を求めるのであろうか? 
 食糧科学は、DNA作物を中心に新しい時代を拓きつつある。医学も、遺伝子治療などゲノムサイエンスに基礎をおくDNA医療に突入している。方法論や価値観が多様化する社会の中で、そこのところを論議することこそが、今求められているのではなかろうか。欠落しているのは、遺伝子組み換え食品の安全性もさることながら、その社会への導入のプロセスと社会の意識の変革ではなかろうか。

(注1) 人口問題:ネイチャー(本年8月号)によると、世界人口は2070年にはピークを迎え、それ以降は減少する。2100年頃までの人口は84億人に止まる。
(注2) 「実質的同等性」:遺伝子組み換え技術を用いて開発された作物(食品)を評価する場合、その作物(食品)に導入された遺伝子の特性が十分に把握されていて、元(遺伝子の導入前)の作物(食品)と同じ程度に危険性がないと言う科学的な根拠がある場合には、その遺伝子組み換え作物(食品)の安全性については、元の作物(食品)と同等(類縁の作物(食品)と比較することができる)と考える。この概念は、同じような意味で他の言葉でも表現されている。要は、遺伝子組み換え作物(食品)の分析の結果を意味するのではなく、考え方を示す。


参考資料
村田幸作:日本医事新報,3981,105(2000);治療,82:122-123(2000);学術の動向,14-18
(2000);JMS Report,62:50-54(2000);かんぽ資金,270:10-15(2000);総合臨床,50:1969-
1970(2001);看護,53:086-090(2001);臨床栄養,98:280-285(2001);インターラボ,36:44-46(2001)

 

 
 

 

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