2007.7.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  50. 年をとると忙しい
 

 

 私の家内は短期記憶障害で始まる老人病です。最近よく口にする言葉が忙しいです。長男が訪ねて来て、様子を聞くと、第一声が「忙しい」だと言います。実際には部屋は散らかったままで、食事の準備も遅れがち、何も忙しく立ち働いているわけではありません。あえて推測すれば、やらねばならないと思っていることが目の前に山のようにあるが、それが一向に片付かない、その自分への言い訳が「忙しいからだ」となるのでしょう。これは他人事だと思っていましたが、最近は私自身がそれを実感するようになってきました。

 別に仕事の量が増えたわけではありません。それなのに一向に片付かないのです。兎に角記憶が悪くなってきました。先日も元大学関係の人たちが集まる小さな会合がありました。30 年前にわたしが京大で医学部長をしていた時に大学であった事件(経済学部の助手竹本氏を退職処分にするかどうかを巡って、学内が荒れて総長以下部局長が追い回されたのです)で解決の中心になった当時の岡本総長以下部局長が五二会(昭和 52 年を意味する)という集まりを持っていました。岡本元総長がご病気になられて一時中断していたのをもう一度ということで丁度 30 年目に当たる 6 月 18 日に集まりました。どうも前置きが長くなりましたが、そのときにお会いしたある人物のお名前がどうしても思い出せず、そのまま「お元気で何よりです」などと言って握手をして別れたのです。翌朝になって突然ああ彼は**さんだった、と名前が出てきました。名前を思い出すのに一晩かかったという次第です。さっそく彼に最近の発行物などを送りました。

 もう一つは体力です。30 分もパソコンの前に座っていると、もうすっと立ち上がれません。腰を曲げて立ってから、ぼつぼつと体を伸ばしていかねばなりません。それだけでなく、午後にはもうぼーとして、書きものなど出来ません。すなわち肉体的にも能率が大きく落ちているのです。したがって計画ばかりは沢山あっても、なかなか実行には移せません。これは家内流に表現すれば、「忙しい」ということになるのでしょう。私自身は、なるべくそう考えないで、一日に一つでも何か出来れば上等ということにして、スローにやることで、忙しいと悩まないように心掛けているつもりです。その代わり、知らずにお約束に間に合わずご迷惑をおかけしているかも知れません。

 年をとると「忙しい」、これは裏から見れば、気ばかりあせっても、なかなか思うようには仕事は出来ない、ということ。多分病気のある家内は「忙しいからこんなにちらばっているのよ」と言いたいのでしょう。これは西田正規の言う「安全保障のための言語」で、それを我々が「仕事をする言語」で圧迫してはならないかも知れません。少し解説しましょう。西田正規の「人類史のなかの定住革命(講談社学術文庫)」によると、人の言語の発達は、先ず安全保障のためにできたのだ,と言うのです。彼の言葉を借りれば、“人類は満身の怒りを言葉に託し、それを投げつけて、暴力を回避することができる。(中略)あるいは、それほど強い怒りでなくとも、相手に不満を感じれば、その程度に応じた避難の意を言葉で伝えもする。”これによって石や棒を武器にすることによって人類は他の大型動物のなかで進んだ地位を獲得することができたが、これは人お互いにも危険なものでもあるので、それをさけるために、言葉で暴力を避けてきたのだ、ということです。その後集団での狩猟などの複雑な仕事をするようになって「仕事をする言語」が発達してきたのだ、というのです。(同書 第十章 家族・分配・言語 4.言語pp.245−260.)でも今我々は仕事をする言語に余りにも重きを置いていないか、それが最近頻発する青少年の殺人事件の背景ではないか、というのが西田の最後の言葉です。私は「忙しい」という家内の言葉から、このことを思い出しました。お互い挨拶は意味がなくても大切にしましょう。

 

 

 
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