2003.10.1
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菅 原 努
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5.音を聴くトレーニング | ||||
“一般的な補聴器や集音器は「音を加工して大きくして」聞かせようとしますが、これでは無理が生じ、脳も正しく音を認識してくれません。 私はこれを読んで考えこんでしまいました。私の補聴器は聴力検査をしてそれに合わせて聴力の落ちている周波数パターンに合わせて音を増幅しているのです。それをただ自然の音を増幅して聞かせるだけでよく聞き取れるようになるものだろうか、というのが私の疑問です。しかも、こうも書かれています。 “人間が本来持つ「聴く能力」を生の音を聴きながらトレーニングできるみみ太郎なら、補聴器の性能を最大限に引き出し、さらに聞き取りやすくなります。” * * * * * * * * * * * * * * * * * * そこで、もう一度自分の今までの経験を反省し、聞くことのトレーニングの可能性を探ってみることにしました。 最初は右の耳が突発性難聴で聞こえなくなりました。そのときに気が付いたことは、プラットフォームで右から来る電車が左からくるように錯覚することでした。今度はそれに補聴器を着けると、話は聞こえるのですが、音楽が雑音になってしまうのです。むしろいい方の左耳だけでなら何とか楽しめました。こんなこともありました。ある朝洗面が済んで補聴器をつけるとザーザーとする音が聞こえます。何か水道の蛇口でも開いたままになっているような音です。見回してもそれらしきことはありません。家内に何がザーザーと音がするものはないか、と聞くと「せみ時雨ではありませんか」と言います。窓によって外をみると、確かにせみ時雨が聞こえてきました。ザーザーという音もちゃんとせみの声にきこえるのです。 その内に下行大動脈解離の治療で血圧を無理に下げたせいか、左の耳も聞こえ難くなりました。そこで左にも補聴器を着けることにしました。そうしたらまた音楽が楽しめるようになるかというとなかなかそうはいきません。テレビで画面をみながら聞いているとある程度は理解できます。どうやら眼でみることで、音の理解を補っているようです。そこで上に書いた「みみ太郎」の話からトレーニングということを思いついたのです。フルート、ビオラなどのソロやテナーは割りにすんなりと聞けます。しかし、ピアノの音は、殊に低音部は音が割れて聴くにたえません。ピアノはしばしば伴奏でも使われますので、それが却って邪魔になるのです。そこでDVDを買ってきて、画面を見ながら聴くと何とか今までよりは楽しめる事が分りました。私の好きな弦楽四重奏曲は未だDVDが買えてないので分りませんが、CDだけでは残念ながら聞き取れません。でもこうやって慣らしていくと、少しづつ音楽らしく、またその楽器らしく聞こえてくるようです。 今のところ私の理解は次の通りです。楽器の音の聴き易さには、それの持つ音域と倍音の多さが関係しているようです。次に今までの頭の回路を作り直して今の左右の耳の補聴器を含めた聴力にもとづいた音の理解が出来るように、再訓練する必要があるということです。電話を聞いていても、初めは今まで知っている人の声も違うように感じるのですが、しばらく同じ人の話を聴いていると段々と昔の声の調子に戻って聞こえてくるのです。 今もオーケストラはソロの部分はよいのですが、一斉に鳴り出すとガーと雑音になってしまいます。そこで出来るだけ単純な楽器の曲に先ず耳を、同時に脳も慣らして、少しづつ複雑な楽器編成に進むべく心がけてトレーニングをしているところです。よくベートーベンも耳が聞こえなくなったのだから、それでも音楽は楽しめるはずだ、と言われるのです。確かに耳が悪くても頭の中では昔から知っている曲は鳴っているのです。しかし、反対に聞こえる音楽がそれと余りにも違いすぎるのが問題なのだと思います。もう静かなメロデーにうっとりと言ったことは駄目かもしれません。でも何とかそれを取り戻すべく一生懸命努力しているところです。半年か一年後にその後の様子をご報告できればと楽しみにしています。
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