2007.6.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  49. 想像の世界に遊ぶ
 

 

 私は毎週届く国際科学雑誌 Nature や Science を楽しみにしていますが、Nature には島津製作所 Shimazu が時々偉大な科学者の言葉を1頁使って示して広告しています。そのなかにある時、次のようなアインシュタインの言葉がありました。

想像は知識より重要だ。何故なら知識には限界があるが、想像は世界中を駆け巡るからだ。

Imagination is more important than knowledge, for knowledge is limited while imagination embraces the entire world.

 これを読んで以来、私はこの言葉がこころから離れなくなってしまいました。歳を取って耳は遠く、腰が痛んで歩き回ることもできません。でも未だ想像を巡らすことは、何とか出来そうです。そうすると電車に乗っても、道を歩いていてもケイタイ(電話)を離さず、覗いたり指で打ち込んだり忙しそうにしている多くの人を見て、この人たちの想像力はどうなっているのだろうか、と気になります。次々と入ってくる情報にばかり気を取られて、自分で想像を巡らす余裕もなくなってしまっていないだろうか、と言うことです。

 他人のことを心配する前に、ひとつ自分で思い切った想像を巡らしてみよう、と思い立ったのです。かねてから努力をしているがん温熱療法(ハイパーサーミア)の新しい見方について、想像を巡らせたのです。その想像を仮説と言う形にまとめることにしました。纏めるには、一つのストーリーに仕上げるのがよかろうと言う事で、それを地方の研究会で話すように申し込みました。演題は;私の仮説:がん幹細胞とハイパーサーミア というのです。想像も幾つかの足がかりが必要です。最近注目されているがんの幹細胞とハイパーサーミアとを結びつけようというものです。私の頭の中にある古い幹細胞についての知識と、最近のハイパーサーミアの臨床報告とをつなぎ合わせ、そこから先は実験室を持たない私に出来ることは、正に想像です。

 幹細胞と言う言葉も、最近では胚から取れるいろんな組織に分化、発展しうる細胞ということで注目されています。しかし、私たち放射線生物研究を古く始めた者にとっては、懐かしい言葉なのです。マウスの骨髄細胞のなかに、全身照射をしたマウスにその細胞を移植すると脾臓に結節をつくるものがあり、それが骨髄細胞を幹細胞として出来た造血組織であるという1961年のカナダの Till と McColluch の論文を思い出します。私たちもその方法を活用して造血幹細胞の研究をしましたが、偉い病理学の先生から、「君、幹細胞などと勝手に言ってもらっては困るね。細胞に名前をつける以上、顕微鏡でこれがその細胞だと示してくれんと駄目だよ」と叱られました。兎に角骨髄細胞1万か10万のなかに一つあると考えられる物ですから、はいこれがその幹細胞ですとお見せすることは出来ません。したがって幹細胞という名前はその機能から存在を仮定したものです。まさに想像の産物です。Till と McCulluch も永らく忘れられていたようで、2005年になって思い出したように米国のラスカー医学賞を受けました。この賞の受賞者の半分近くがノーベル賞を受けると言われている権威のある賞です。

 さて、がんに幹細胞があると言うのも、今ではまだ想像の域を出ないのではないでしょうか。経験的には動物にがんを移植するには、1、2個の細胞を移植したのでは駄目で、一般に1万から10万ケの細胞を植えてやっと一つの腫瘍に育つというのが普通です。これから1万か10万の細胞のなかに1ケの幹細胞が混ざっていたのだろうと想像しているのです。放射線や制癌剤で腫瘍が見えないくらいに縮小して、臨床的には完治したと考えられていたのに、数年後に再発してくるのは、1、2ケの幹細胞が生き残っていたのではないか、というのが、がん幹細胞が取り上げられる理由です。そこで人々は胚性幹細胞での遺伝子発現の知識を活用して、がん幹細胞に特異な遺伝子マーカーを見つけ、幹細胞を特定する研究がすすめられています。今度は1万に1ケの幹細胞を見えるようにしようというわけです。

 では何故腫瘍は縮小したのに幹細胞だけが生き残るのでしょうか。いや、がん幹細胞は、放射線や制癌剤に対して特に抵抗性なのだ、と考えるのですが、さてそれにどれだけ証拠があるでしょうか。インターネットで探してもそこまでのデータはなかなか見つかりません。そこで私は本棚の古い本や文献を探って幹細胞一般の特性を知りたいと思っています。でもこのがん幹細胞もハイパーサーミアそれも43℃を超える本格的な温熱では死ぬだろうというのが、私の仮説です。だからハイパーサーミアをうまく併用すれば本当の完治がえられる筈です。そうなったらがん治療にはハイパーサーミアは欠かせないものになる筈です。しめしめ。

 この私の想像が本当に創造になり、新しいデータに支えられるようになるか、単なる想像の面白い話で終わるのか、うつらうつらしながら考えるのも楽しいことです。老人にも夢は必要です。私の想像話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 
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