2006.11.1 |
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菅 原 努 |
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42. インドと中国 | ||||
私がこれらの国をはじめて訪ねたのは1979年のことでした。京大の医学部長も任期最後の4年目で幾らか心に余裕が出来ました。中国へは日本からの初めての科学技術交流団の一員として、インドはニューデリーにあるジャハール・ネルー大學の学長をしていた旧友のシュリバスタバ博士の招待によるものでした。両国ともこれから近代化の道を歩み始めようとするところで、それを機会に学術交流,共同研究がはじまりました。それらを通じて私は両国の状況をそれなりに理解しているつもりでいたが、ご承知のように最近の両国の発展振りは目を見張るものがあります。 丁度去る9月22、23日と奈良で第4回アジアハイパーサーミア(がん温熱療法)学会と言うのがあって、数年ぶりに両国の科学者に会い、その発表を聞く機会がありました。さらにその次の週の初めに、NHKのクローズアップ現代という番組で、インドと中国の発展振りとその分析が報道されたのです。両国ともその経済発展率が8%とか9%とか著しいものがあります。それが国全体をどのように潤しているか、どこに問題があるか、を報道していました。この状況が私が科学者として見ている印象と余りにも一致するので、それをここで書いてみようと思い立ったのです。 先ず私はインドの医者のフイルゴル博士に訊きました。「インドは最近経済発展が著しいと聞いているが、何故ハイパーサーミアの装置を自前で作らないのか。」これに対する彼の返事は、「いやとてもそんな力はない」というものでした。その謎はNHKの報道で解けました。インドの現在の発展はIT産業の世界の下請けで成り立っている。これでは一部の知識層しか潤わないことに政府も気づき、最近ようやく製造業の発展に力を入れ始めたが、まだほんの一部しか潤っていないのが実情である、ということです。「インドは民主主義国家ですから、国は大きな方針は示せても強制するわけにはいきません」と言った商工大臣の言葉が耳に残っています。高校出の兄が街の製造工場で働き、そこで得たお金で弟の学資をつくり、弟がそれで将来IT産業での活躍するべく大学を目指しているという涙ぐましい話が紹介されていました。 これに対して中国はぐっと違うのです。中国は1980年にアメリカで開催された第3回国際ハイパーサーミアシンポジュウムに20名の代表を送り込み、その半数をそのままアメリカに留学させるという熱の入れ方でした。その後中国製の貧弱な装置がときに見られるだけで、我々が日本で開発したサーモトロンという装置が数台設置されていましたが、それほど普及しているとは思っていませんでした。ところが今度奈良のアジア学会に出席して驚きました。超音波を使った装置やサーモトロンと良く似た高周波を使った装置のカタログを並べてこれが今中国で広く使われていると宣伝しているのです。そう言えば少し前に日中医学協会の雑誌に、国の支援を得て超音波のがん治療装置を作り世界へ売り出すのだという中国の大学の記事が出ていたことを思い出しました。 NHKの解説もこれを裏づけるものでした。中国は今まで世界の下請け工場として発展してきたが、それでは輸出が増えすぎて貿易摩擦を生じるし、いずれもっと賃金の安い国にその地位を奪われるおそれがある。これからは自ら創造し発展させていかなければならないということに国としても大きな方向転換を計かるのだと言うのです。早速それをハイパアーサーミアに応用しているなと直感しました。奈良での会議のあと中国製品の日本側窓口の人が私のところへ意見を求めて訪ねてきました。私は「ハイパーサーミア装置の開発には日本には永い経験があり問題点もよく知っているから、その経験、そこでの問題点を良く検討することをお勧めする、と話しておきました。この国で決めた方針に従って猪突猛進するところは中国の政治体制のせいなのでしょうか。見せてもらったカタログを見ながら、何かあやうさを感じざるを得ないのですが。 この一連の出来事を通じて、科学技術の進め方にあらわれた国民性、政治体制の影響をしみじみと感じたのでした。がん治療について、我々の経費で両国とは何度も二国間共同セミナーを開催しましたし、今も両国の高自然放射線地域の共同調査を進めています。そこでは研究組織やそのリーダーがいつも問題になるのですが、今回はそれに文化や政治がどのように絡んでくるか、深く考えさされました。
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