2006.10.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  41. 翁と呼ばれるには
 

 

 去る9月の某日読売新聞の「緩話急題」という記者署名入りの記事は、次のような書き出しでした。

 <・・・翁>と呼ぶのにふさわしい人だ、と感じた。本誌2面「顔」欄のインタービューで、丹羽基二さんを東京・東久留米の自宅に訪ねたのは2002年11月。日本中が平成の大合併に突き進む中、「地名を守る会」代表は自治体の首長あてに「地名変更はくれぐれも慎重に」と、要望書を送り続けていた。(中略)

 「古い地名が消えるのは、好きな女との仲を裂かれるみたいでホント、つらいのよ!」

 姓氏・家紋の研究で知られた<丹羽基二翁>が先月7日、天寿を全うした。享年86。

 先月のこの欄に書きましたが、私のいる処は老人ホームですから当然高齢者が大勢居られます。そこで上の記事を読んでから、一体翁と呼ぶのに相応しい方というのはどんな人だろうかと、食事の度にまわりを見回しているのですが、頭の光っている方は大勢居られるのですが、どうもそれに相応しい方は見付かりません。先月ご紹介した100歳の方も翁というよりは、歳のいった青年と言う感じです。実は私もこの翁より一年若い85歳ですが、誰も翁などとは呼んでくれません。でもこの丹羽さんは翁とよばれるにふさわしい風格と落ち着きがあったればこそ、享年86で天寿を全とうしたとも言ってもらえたのでしょう。

 これを書いている9月14日の同じ新聞の訃報にインターフェロンの岸田綱太郎博士の死亡通知がありました。彼も享年86歳でした。この彼もひょっとすると翁と呼ばれる資格があったかも知れません。なかなか頑固ながら何となく飄々としたところがありました。そうして、私が定年になって河原町丸太町にオフィスを構えた時に、近くにオフィスを持っていた岸田氏と、「定年になったらもう京大も府立医大もありませんから、一緒になって先生の念願のパストゥール研究所を作るのをお手伝いしましょう」と言った20余年前のことを思い出しています。その念願の研究所も出来て私もイメリタスクラブを同じビルの5階に開設して間接的に研究所をバックアップする形を取るころができました。その後何かと苦労はありながらも研究所は大きく発展し彼も満足していたことでしょう(合掌)。

 今回のキーワードはこの翁と天寿です。翁とよばれ天寿を全うする、というのは老人の理想ではないでしょうか。でもどちらも分ったようでつかみ所がない言葉です。でもこのような言葉にこだわる高齢者の気持ちは若い方にはなかなか分らないのではないかと思って、はじめの文章をご紹介したのです。多分書かれた方もそこまで考えず、思いついた言葉をそのまま書かれたのでしょうが。

 そう言いながら、こうして夕食後早速パソコンの前に座ってこんな原稿を書いているのですから、これではとても翁などと呼んではもらえそうにないですね。

 

 

 
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