2006.8.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  39. 見えないもの
 

 

 私たちは世界を考えるときに、何よりも存在が見えるものを先ず第一に考えるのが普通です。そして今まで見えなかったものも出来るだけ見えるように工夫をしてきました。X線が発見されたときに、人々が驚いたのは今まで手術をして開いて見なければ見えなかった体の中が透かして見えるようになったことです。これでは心の中まで透かして見えるかもしれないなどと新聞記事にあったと記されています。

 見ないけれども厳然として存在すると、考えられているものの一つに重力があります。歳をとって腰が弱くなると坂を登るのが大変です。椅子から立ち上がるときも思わず「ドッコイショ」と声がでます。でもそのときにこれは重力に逆らって身体を持ち上げようとしているからだ、などとは皆さんは考えないでしょう。でもそれが私の歳になると何となく分るのです。

 私が重力にはじめて出会ったのは、医学部の学生時代です。多分昭和18年頃だったと思いますが、当時生理学の笹川教授の誘いに乗って二人の同級生とともに、生理学教室に机を借りて研究生の先生のお手伝いをさせてもらっていました。でも手先の不器用な私はなかなかうまく頼まれたデータが出せません。そんな時にセミナー(当時はコロキュウムといっていました)で報告をするように言われたのです。データはないので、丁度手に入ったドイツの科学雑誌の論文を紹介したのです。それが「航空における加速度の問題」と言うのでした。ここで急降下すると数G(Gは重力の単位で地上のものが1です)の加速度を受け、逆に反転すると無重力になる、そのときに血液の分布はどうなるか、と言った話だったと思います。この話は大変好評で、教室で出していた雑誌に載せてもらいました。

 昭和19年9月に繰り上げ卒業で、12月に軍医になって赴任した先が戦闘機の訓練隊でした。そこで戦闘機に乗せてもらって本当に数Gと0Gとを経験したのです。数Gの方は別として、0Gは無重力すなわち今の宇宙旅行です。でも皆さんも宇宙に行かなくても擬似0Gは経験出来るかも知れません。最近盛んに問題になっているエレベーターの事故で、エレベーターが急に落下したら、どんな感じがすると思いますか。エレベーターの事故は困るとしても、飛行機がエアーポケットにはまって急降下すると同じことが起こります。実は私はインド航空でそれを体験しました。机の上にあった写真機も、シートベルトをしていない乗客も一様に浮かび上がって、空中遊泳です。皆キャと叫んで怖がりましたが、私は宇宙旅行が体験出来たと独り喜んでいたのです。

 人間は、重力に逆らって重い頭を載せるために直立歩行になり、その代わり腰に無理が掛って腰痛に悩まされているのでしょうか。兎に角見えないけれども存在する、それもよく実感できるのが重力です。しかし、見えないだけでなく、実感することもできないが昔から存在するもの、は何でしょう。それは放射線(正確には電離放射線)です。1895年にレントゲンがX線を発見するまでその存在は知られていませんでした。しかし、その後の研究で、地球にはその誕生から常に放射線が存在していたことが分っています。我々もそれを受けながら進化してきたのです。むしろ放射線が進化に役立っていたかも知れません。ところがこの放射線が人びとに異常に怖がられるのです。そうしてその理由を聞くと、「見えないから怖い」と言います。でも見えなくても存在の明らかなものが他にもあるのに、何故放射線は怖いと思うのか。中国やインドには自然放射線のレベルが日本などの何倍も高いところに沢山の人が住んでいます。そこの人達はそれを別に怖いとは思っていないようです。それでも何か体に異常が生じるかを調べようと1990年から(財)体質研究会が中心になって、大学の先生方の協力を得て研究を進めています。今のところ特別の異常は見つかっていませんが、見えないものを見ようとする試みといえるでしょう。

 この次はメリケン粉でも薬と思って飲むと痛みが止まった、等というのを偽薬効果(プラセボー効果)と言いますが、この辺から見えないこころも一寸顔を出すかもしれません。放射線やダイオキシンなども微量でも怖いと思っておびえていると、本当の病気になるかも知れません。このようなことを偽薬効果の丁度反対でノセボー効果(偽毒効果?)と言います。これは見えるものにばかり注目していたのでは理解が難しいのではないでしょうか。

 消夏の種に、見えるものと見ないものとについて思いつくまま話題を提供しました。

 

 

 
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