2006.6.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  37. 歌を忘れたカナリア
 

 

 「歌を忘れたカナリアは、裏の畑に捨てましょか、いえいえそれはなりません・・・・・」 という昔聞いた童謡が何度も頭に浮かんできます。というのは私がとうとうこの歌を忘れたカナリアになってしまったからです。歳をとり、いろんな病気をして聴力がどんどんと衰えてきました。そのことはこの欄でも何度も書いたことがあります。そこで補聴器をいろいろと工夫して何とか60点位でも話は出来ています。それが音楽になると途端に駄目になってしまったのです。

 ものの本によると確かに右脳と左脳とで音楽など情緒的なものと論理的な言葉とを分担しているそうです。私も電話はあくまで右の耳従って左脳を使っていました。それで右の耳が突発性難聴で聞こえなくなったときに、受話器を左耳に持ち返ることを考え付かなかったくらいです。でもそのときには左耳に持ち替えて少しなれると何とか話が出来るようになりました。その当時は左の耳はなお健在でした。それが大動脈解離を起こして薬で血圧降下をはかるようになってからその左の耳の聴力も急に衰えてきたのです。それがただ聞こえないだけではなく、音楽、特にメロデイーことにその情緒が全く分らなくなってしまったのです。でも聴力検査では補聴器でほぼ正常に回復しています。一体これはどうしたことでしょう。

 ピアノでドレミファと音程を弾いてみると、それが全く音程にならないことに気づきました。友人にも同様にピアノを愉しんでいたのが居て、彼は音程が狂ってしまった、といっています。私の経験では、先ず音楽の持つ情緒性がなくなり、例えば演歌の演歌調が全く感じられなくなります。オペラのアリアの哀調など全く感じられません。そしてとうとうメロデイーもなくただ音がのっぺらぼうに聞こえるだけになって仕舞いました。わずかにリズムだけは残っています。

 こうなると、講演のように人に感銘を与えるような話もできなくなります。話をすることは自分でもその調子を聞いて、そこに情緒的なものをそれとなく入れ込むことで、聞き手に感銘を与える事ができるのでしょう。それが自分で自分の調子が分らなくては感銘を与える調子は出せません。ただスライドを使って論理的な話をするだけになってしまうのです。

 歳をとって体がいうことを利かなくなったら、静かにCDの音楽でも愉しみたいと思っていました。なかなかゆっくりと聴く機会のなかったワーグナーの楽劇なども全曲聴いてみたいものだと思っていたのです。読書はそれなりに楽しみですが、どうしても目が疲れます。そんな時には、目を閉じて、ゆっくりと音楽に耳をすませればその疲れも取れるでしょう。それが音楽は全部雑音になり逆に耳を塞ぎたくなってしまうのです。

 補聴器をいろいろ工夫してもらって一時は少しは回復したように感じたのですが、結局難聴の進行のほうが早かったようです。テレビも「ニュース」だけで、音楽が始まるとすぐに切ってしまいます。少し聴力に関係する本も読んでみましたが、まだ納得できる説明には行き当たりません。先にも書いたように友人にも同じような悩みを持ったのがおります。私達が研究材料になりますから、感性工学の課題とし取り上げてもらえないものでしょうか。脳の仕組みの未開の分野だと思うのですが。先ず今の聴力検査のあり方が問題ではないでしょうか。4段階ほどの高さ(周波数)の音を聴きその大きさのレベルを図示するのですが、聴こえた音がその高さとして聴こえているという証拠はありません。今は簡単な電子ピアノもあるのですから、聴力検査のときに、会話だけでなく、音楽がどう聴こえるか位は調べてほしいものです。そこで耳鼻科の先生も始めて問題に気付いてくれるのではないでしょうか。どうか「歌を忘れたカナリア」を裏の畑に捨てないで下さい。

 

 

 
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